143 生老病呆死(16)死を考えない主義の先輩を襲った長男の死

      ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 143

143 生老病呆死(16)死を考えない主義の先輩を襲った長男の死

負け惜しみと思わないでほしいのだが、ボクは子どものいないことをいまはちっとも残念に思っていない。むしろいなくてよかったと安堵しているところがある。むろん、こうなるまでには歳月がかかった。そのことはおいおい触れていこう。――ただ、それとは別に中学時代の彼らの前回のような心境は、ちょっと味わってみたいな。彼らは生きものとしてこの世で燃焼した気分になっているのだろうか。子どもの人生も自分の人生の中に勝手に取り入れて、2世代分の人生を思案している。子どものいないボクはそんな気持ちを経験できない。同時に彼らの会話を聞きながら、ボクらの育った時代がひどく時代遅れになってしまっているのを思った。あのボクらの貧しいが、とても濃かった時代は宇宙のどこかへ去ってしまったのだ。

ボクが老いや死を具体的に考え始めたのは30代前半だった。そのきっかけのひとつは、その年の社員忘年会だった。まだ若手のボクは小さくなっていたが、話声が聞こえてくる。窓際族のおっさんが、同期の幹部社員に話しかけてもらってうれしそうに「そうやな、あの頃はみんな若かった。そうか、あんたも日曜は孫の守をしていあるのか、そうか、みんな同じやなあ」と答えている。会社の地位は違っても、人生の地位は人間みな同じということを初めて知ったのだろう、このおっさんは。
それを受けたように、中堅社員が「ぼくらもそのうち、年をとって、集まったら、孫の話などしているのでしょうね。そうやってみんな老いていくのですねえ」と物わかりのよさそうなことをいっている。したり顔のこいつは、仕事はろくすっぽできないのに、こういうコメントを言わすと無難にこなす。

その時、ボクは高齢になっても自分には孫を持つことはできないのだと改めて気付いた。田舎育ちのボクは多くの孫に囲まれて亡くなった祖父母を見ている。年をとり、子どもや孫に囲まれ惜しまれ、悲しまれ、泣かれながら死を迎える。宇宙へ過ぎていく。それが慣れ親しんだ、普通のありふれた平均的な「死」の前後のイメージだ。
でも、子どもや孫のいないボクにはそんな老後も死の風景もない。ボクの老後を具体的にイメージできないのだった。ボクのこれからは中年を経て定年までの日々はほぼ予測できるが、そのあとの日々は濃霧に包まれている。ある日、気がついたら、死の断崖にきてしまい、真っ逆さまにダイビングというわけか。

いま振り返ると、子どもがいたって、孫がいたって、ましていまのような核家族時代ではみんな似たような行程をたどるに違いないのに、その当時はちょっとあわてた。
にわかにボクは、ボクだけの老後と死の形を確定する必要に迫られた。10冊ほど読んだ本の中で印象深かったのは岸本英夫の「死を見つめる心」だった。著者は宗教学が専攻の東大教授。しかも10年間癌と闘って亡くなっている。宗教と死と近代知の3点セット。恥ずかしながらちょっとペダンチックなところのあるボクはこの組み合わせにも大いに興味をそそられた。

古くからいろいろな生死観が出回っている。その考え方は多様だが、1つ共通しているのは死を超えていつまでも自分が生き続けたいという欲求だ、と岸本教授は指摘し、人々が抱く「永遠の命のイメージ」として4つの類型をあげている。

1、 肉体的生命の存続を希望し求めるもの。
2、 死後における生命の永存を信ずるもの。
3、 自己の生命を、それに代わる限りなき生命に託するもの。
4、 現実の生活の中に永遠の命を感得するもの。

 
1、 は道教、神仙説、不老長寿の霊薬、ミイラ。さらにキリスト教マホメット教の終末観などが含まれる。これは古い時代の話ではない。現代人も定命があることは一般論としては承知していてもいざ、わが身に死が降りかかりそうになってくると、しらずしらず、自分は別だ、例外だと思いこもうとする。病気が重くなっても、もう一度は回復すると信じる。自分はまだ死なないという態度をつねに持ち続けることになる。死への心構えができていないまま、死に直面し、慌てふためき、覚悟なしに死の淵に呑まれていく。いかに多くの人がこのタイプであることか! 岸本教授はため息をつくように書いている。

 この記述で、1年ほど前、会社時代の同僚たちと飲んだ日のことをおもいだす。例によって、ボクが「死ぬのが怖くないか」と切り出した。ふだん形而上学的なことは不得手な先輩がいて、「オレは死ぬことなんか考えたことがないぞ。死ぬ時がきたら、死んだらいいだけや。お前は変わっているな!」といった。それから野菜を食っているとか、山歩きをしているとか、健康自慢を始めた。まあ、しかたがないや、とボクは引き下がったが、その半年後、彼の長男が急死した。その落胆ぶりはみるも哀れだった。心底から哀悼の意を表しつつも、ボクは心のどこかで、「これで彼も死について少しは考えるようになるのだろうか?」という、いたずらっぽいささやきをつい聞いてしまうのである。(次回に続く)


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143 生老病呆死(16)死を考えない主義の先輩を襲った長男の死

負け惜しみと思わないでほしいのだが、ボクは子どものいないことをいまはちっとも残念に思っていない。むしろいなくてよかったと安堵しているところがある。むろん、こうなるまでには歳月がかかった。そのことはおいおい触れていこう。――ただ、それとは別に中学時代の彼らの前回のような心境は、ちょっと味わってみたいな。彼らは生きものとしてこの世で燃焼した気分になっているのだろうか。子どもの人生も自分の人生の中に勝手に取り入れて、2世代分の人生を思案している。子どものいないボクはそんな気持ちを経験できない。同時に彼らの会話を聞きながら、ボクらの育った時代がひどく時代遅れになってしまっているのを思った。あのボクらの貧しいが、とても濃かった時代は宇宙のどこかへ去ってしまったのだ。

ボクが老いや死を具体的に考え始めたのは30代前半だった。そのきっかけのひとつは、その年の社員忘年会だった。まだ若手のボクは小さくなっていたが、話声が聞こえてくる。窓際族のおっさんが、同期の幹部社員に話しかけてもらってうれしそうに「そうやな、あの頃はみんな若かった。そうか、あんたも日曜は孫の守をしていあるのか、そうか、みんな同じやなあ」と答えている。会社の地位は違っても、人生の地位は人間みな同じということを初めて知ったのだろう、このおっさんは。
それを受けたように、中堅社員が「ぼくらもそのうち、年をとって、集まったら、孫の話などしているのでしょうね。そうやってみんな老いていくのですねえ」と物わかりのよさそうなことをいっている。したり顔のこいつは、仕事はろくすっぽできないのに、こういうコメントを言わすと無難にこなす。

その時、ボクは高齢になっても自分には孫を持つことはできないのだと改めて気付いた。田舎育ちのボクは多くの孫に囲まれて亡くなった祖父母を見ている。年をとり、子どもや孫に囲まれ惜しまれ、悲しまれ、泣かれながら死を迎える。宇宙へ過ぎていく。それが慣れ親しんだ、普通のありふれた平均的な「死」の前後のイメージだ。
でも、子どもや孫のいないボクにはそんな老後も死の風景もない。ボクの老後を具体的にイメージできないのだった。ボクのこれからは中年を経て定年までの日々はほぼ予測できるが、そのあとの日々は濃霧に包まれている。ある日、気がついたら、死の断崖にきてしまい、真っ逆さまにダイビングというわけか。

いま振り返ると、子どもがいたって、孫がいたって、ましていまのような核家族時代ではみんな似たような行程をたどるに違いないのに、その当時はちょっとあわてた。
にわかにボクは、ボクだけの老後と死の形を確定する必要に迫られた。10冊ほど読んだ本の中で印象深かったのは岸本英夫の「死を見つめる心」だった。著者は宗教学が専攻の東大教授。しかも10年間癌と闘って亡くなっている。宗教と死と近代知の3点セット。恥ずかしながらちょっとペダンチックなところのあるボクはこの組み合わせにも大いに興味をそそられた。

古くからいろいろな生死観が出回っている。その考え方は多様だが、1つ共通しているのは死を超えていつまでも自分が生き続けたいという欲求だ、と岸本教授は指摘し、人々が抱く「永遠の命のイメージ」として4つの類型をあげている。

1、 肉体的生命の存続を希望し求めるもの。
2、 死後における生命の永存を信ずるもの。
3、 自己の生命を、それに代わる限りなき生命に託するもの。
4、 現実の生活の中に永遠の命を感得するもの。

 
1、 は道教、神仙説、不老長寿の霊薬、ミイラ。さらにキリスト教マホメット教の終末観などが含まれる。これは古い時代の話ではない。現代人も定命があることは一般論としては承知していてもいざ、わが身に死が降りかかりそうになってくると、しらずしらず、自分は別だ、例外だと思いこもうとする。病気が重くなっても、もう一度は回復すると信じる。自分はまだ死なないという態度をつねに持ち続けることになる。死への心構えができていないまま、死に直面し、慌てふためき、覚悟なしに死の淵に呑まれていく。いかに多くの人がこのタイプであることか! 岸本教授はため息をつくように書いている。

 この記述で、1年ほど前、会社時代の同僚たちと飲んだ日のことをおもいだす。例によって、ボクが「死ぬのが怖くないか」と切り出した。ふだん形而上学的なことは不得手な先輩がいて、「オレは死ぬことなんか考えたことがないぞ。死ぬ時がきたら、死んだらいいだけや。お前は変わっているな!」といった。それから野菜を食っているとか、山歩きをしているとか、健康自慢を始めた。まあ、しかたがないや、とボクは引き下がったが、その半年後、彼の長男が急死した。その落胆ぶりはみるも哀れだった。心底から哀悼の意を表しつつも、ボクは心のどこかで、「これで彼も死について少しは考えるようになるのだろうか?」という、いたずらっぽいささやきをつい聞いてしまうのである。(次回に続く)