142 生老病呆死(15)ボク以外みんな癌の経験者だった

       ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 142

142 生老病呆死(15)ボク以外みんな癌の経験者だった

先日、中学時代の同級生5人が集まった。ウン十年もおたがいにご無沙汰続きだったが、この春、全体同窓会があり、以来、気が向いた誰かが電話で誘いをかけてくる。都合のついた者がとりあえず、その日の夕方、駅前の安酒店へかけつけるしきたりができた。

話していてわかったのだが、ボクを除く4人はみんな癌の経験者だった。いや、うち1人は現役の癌患者だ。4年前リンパ癌が発症したが、抗がん剤その他で治療している。2年前には脳に悪性腫瘍が見つかり、これも抗がん剤で目下はおさまっている。「手術で切り取ってしまえばよかったのに」というと、横から紅一点が「場所がリンパだからできへんの。あんたは相変わらずやな」と口を出した。

紅一点は胃がん内視鏡手術。これが一番軽症だったみたいだ。近所のうどん屋さんでパート店員としてがんばっている。リンゴ娘の面影はいまも残って若々しい。
建具屋は膀胱癌を二度手術した。腕白小僧で鳴らしたが、いまや白髪で猫背のおじいさん。1カ月前、弟を肺癌で亡くした。末っ子なのに91歳の母親はそんなに悲しまない、年をとるとそんなものかな、とぶつぶついっている。
職工を永年勤続し、いま地区センターでボランティアをしているクラス1の秀才は胃を3分の1切った。みんなのいうことを穏やかに聞いてうなずいている。今も昔も人望ナンバーワンの級長だ。

ボクの父は胃癌で死んだ。癌は怖い。癌は死のイメージ。それなのにこの4人は楽しそうにビールを飲んでいる。ほんとうに楽しいのだろうか。ボクは最近、アルコールがはいると、焼けつくように死が怖くなる。あたりかわまず、「死ぬのは怖くないか、年をとって死が近づいているのをどう思うか」、みたいな質問を乱発する癖がある。

この日もとうとう現役のリンパ癌に「お前、えらいな。現役のくせにお前がいちばん飲んでるぞ」と突っ込んだ。それからまわりを見渡して、「お前たち、死ぬの、怖くないか? 癌のとき、怖かったやろ」と探りを入れた。
リンパが引き取って「いいや。こどもが小さかったら、そら、たいへんだろうけど、息子も娘ももう独立していたからな。それに、いざ癌になったらあれこれ死について考える余裕はなかったぞ。」
リンパ癌がみつかったとき、医者は「このあと精密検査に4週間かかる。あんたの体はもたんかもしれない。私に賭けて2週間コースでいきますか?」といったのでそちらを選んだ。結果的にそれがよかった。機械的な医療手続きに追われて死を思案する暇もゆとりもなかった、という意味のことをいった。
なるほど、これはわかる気がする。しかし、現在はどうだ。急場の去った今の心境は?

そう問うと、紅一点がまた「あんたは大病してないから、私らのこと、わからんやろな」と横から突き放すように言った。
リンパが「俺には財産はないが、小さな家がある。それを妻に残す。独立したこどもたちにはなにもやる必要はない。同居している母はずっと働いていたから自分の企業年金がはいる。それで死ぬまで食っていけるやろ。俺はもう安心なんや。この世の義務を果たしたんや。」
酔っ払ったリンパは、父親が1歳のとき、ニューギニアで戦死したこと、母親は働きに出て、自分は見習いのあと小さな鉄工所を開いた、事業は順調だったが、大きくする度胸がなかった。万一、失敗して子どもを食わせられなくなるのがこわかった。俺は父親がいなかったから臆病な性格になったんや。父親はいざというとき頼れるから。いまは商売もやめたし、何も怖いものあれへん……、とりとめもなく一代記を話し出した。

級長は「そうやな。子育てがしんどかった。日曜も祝日もなく、毎晩残業していた。この間も家内と話したけど、子どもを一人前にするのに2000万円ぐらいはかかるやろ。うちは3人もいた。貧乏暮らしなのに、そんな大金がよくぞあったなあ、うそみたいやなあ、と笑ってしまったよ」
子どもたちは独立したし、財産はないけど、電車高架下の古い長屋の住まいは家内に残せる。
「生きものも人間も、子どもを育てたら黙って死んでいくのが自然なのかなあ。ぼくもあんまり死ぬのが怖くない。死ぬのが普通な気がする」と級長は相変わらずの穏やかな口調でつぶやいた。

ボクがみんなと違うのは、大病をしていないことのほか、子どもがいない。
「子どもという遺伝子を残したから、安心して死ねる、ということなのか?」とボクは聞いた。
リンパも級長も、それは違う、といった。
「こどもはみんな離れて行った。それでいい。ぼくなんかの遺伝子を残したからって何にもならない。そうではなくて、子育ての義務を果たして燃え尽きたみたいな。働いてぐったり疲れた後の風呂上りみたいな気持。もうがんばりたくない。欲張ってもしかたないしね」
(次回につづく)