140 病苦の妻を見殺しにする自分に苦しんだ外村繁


    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 140

140 病苦の妻を見殺しにする自分に苦しんだ外村繁

 本多顕彰の「歎異抄入門」(光文社)の4条解釈をみてみよう。英文学者で文芸評論家の著者は多くのベストセラーを出したが、この本も出版当時、評判になった。
 
4条を「今生(現世)においては、生物をどんなに、いとおしい、かわいそうだと思っても、思うままに助けることはむずかしいから、この慈悲には一貫性がない。念仏を唱えて急いで仏になり、大慈悲心をもって、思いのままに生物に利益を与えることだ」と解釈したあと、小説家外村繁のエピソードを紹介している。

外村は死の床にあった妻を看護しながら、その病苦を、死をどうしてやることもできない自分に悶えた。ある日、歎異抄を開いて、4条のこの文句にぶつかった。そうだったのかーーと心に響くものがあり、以来つねに愛誦し、悲痛のうちに念仏を唱え続けた。

 そして本多さんは「人間には他人を徹底的に救う力はない。その力を持つのは仏の慈悲だけである。われわれ人間の慈悲が一貫性をもつのは、仏の本願によって仏に帰したときだけである」と説いている。
仏教用語によわいボクはこのあたりではやくも戸惑い、やはり一度死なねばならないのか、と思ってしまうが、こちらの気持ちを見透かしたようにその次に注意書きをしてくれている。

 「現世においては」と「急いで仏になって」のふたつの言葉を並べると、当然「急いで、死んで仏になって」という意味に解される。しかし、これは弟子で歎異抄の筆者・唯円のまちがいだ。親鸞が「往生」と言ったのを当時の伝統で「死」と解釈してしまった。しかし、親鸞は現世で往生を遂げるという新しい思想を展開したのだ。

 例えば、「念仏を申そうと思い立つこころの起こるとき、即座に仏が救いとってくれる」(歎異抄1条)。
「真実の信心を得た人は、即座に往生が決定する人々の仲間にはいる」(浄土和讃)。
「信心を得たる人は、かならず正定聚(間違いなく往生ができることがきまった仲間)の位に住する。略。大無量寿経にはおさめとって捨てないことの利益にさだまるものを正定聚と名づけ。略。正定聚の人は身は汚れ、悪をなしても、こころはすでに仏に等しい。略。」(末灯抄)

などと書いている。けれど、悟りは外面にはっきり現れるものでないから弟子たちは気付かなかったのだろうし、即座に往生するとストレートに表現していないから明確に伝わらなかったのかもしれないと本多さんはいう。

 当時の宗教は無学で貧しい大衆を相手にしていなかった。貴族や金持ちは前世の宿縁によって現世で恵まれ、仏法を聞くことによって来世もまた恵まれると信じられていた。親鸞の師、法然は抜きん出た秀才で知られ「知恵の法然」とうたわれたが、恵まれぬ一般大衆こそ!と『念仏するだけでだれでも死後は浄土に往生できる』という画期的な他力の仏教を開いたのだった。これに拍車をかけるように親鸞はさらに往生の時期は死後を待たず、「この世で即座に」、と早めたのだ。

 法然の過激思想に輪をかけた理由について、本多さんは親鸞の罪人時代の経験をあげる。

念仏禁止令によって僧の資格を奪われ、越後に流された親鸞がともに暮らしたのは、いわば客を騙して高く売りつけて生計を立てる商人、仏教ではいちばん重い罪である殺生で暮らす猟師、畑でクワをふるうことで地中にひそむ虫やミミズなど数多くの生物を殺さねばならない農民たちだった。前世に悪業を犯したゆえに現世もそのような業に従事し、来世もまたその報いをうけて罪を重ねるという悪循環。この人たちは未来永劫にその繰り返しで、救われることはないではないか。いや、そうであってはならない。いまも日々、悪業によって罪を犯しているこの人たちは、いま、この現世で救われなければならないのだ。

親鸞は経文を何度も読み返し、独自の救済の道理を探しあてようと努めた。たりないところは大胆にも経文を読みかえたと本多さんは経典「無量寿如来会」から具体的な事例をあげている。

法然親鸞も同じ道理・真理を説いた。ただ、法然は観念的に、いわば机上の論理として念仏往生を説いたのに対し、親鸞は、自分の経験、体験を通じて確かめたことを説いた。「知恵の法然」を、「実践の親鸞」が超えた、と本多さんは書いている。