138 あの世に生まれかわって、また戻ってこれるの?

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 138

138 あの世に生まれかわって、また戻ってこれるの?

歎異抄第4条の原文。
「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。また浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏となりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生にいかにいとおし、不便(ふびん)とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてさふらふべきと、云々。」

現代語訳。(紀野一義「私の歎異抄筑摩書房から)
「人を幸せにしたい、救いたいという慈悲にも、自分の力でそれをやり遂げようとする聖道門の慈悲と、生まれかわってやりとげようとする浄土門の慈悲という相違がある。自分の力でそれをやりとげようとする聖道門の慈悲は、生きとし生けるものをあわれみ、愛し、育むのである。しかし、自分の思うように助け切ることは、きわめてむずかしいのだ。これに反して、生まれかわってやりとげようとする浄土門の慈悲は、あの大いなるものの御名を呼ぶことによって、そのまま、大いなるものそのものに生まれかわり、その大いなるものの絶対的な力に乗じて、大いなるものの思うままに大ぜいの人々を救うことをいうのである。今のこのわが身の力で、どんなに人を愛しいと思い,可哀そうと思ったとて、思ったとおりに助け切ることはできないのであるから、自分の力でやりとげようという慈悲は首尾一貫せぬのである。であるから、かの大いなるものの御名を呼ぶことだけが、徹底した大慈悲心というべきであるのだ。」

 原文に忠実で、読みやすい、よくできた訳である。自力と他力の意味もわかる。大いなる御名とは、南無阿弥陀仏、であろう。それはわかるのだが、「大いなるものに生まれかわり」とは具体的に何を意味しているのだろうか。
 
大いなるもの、とは何者か?
 生まれかわる、とはどこへ?
 大いなるものに生まれかわって大勢の人を救う、とは具体的に何をさしているのか?
初心者としてはここがわからない。本書の解説ではこれらは明らかにされず「聖道門というのは、自分の力で努力し,修行をし、悟りを開くという立場である。浄土門の慈悲が考えられたのは、聖道門の慈悲を通ってきたからであって、最初から浄土門の慈悲などというものが成立するはずがない」。
(聖道門で)努力し、苦闘した果てにたどりつくのが、南無阿弥陀仏を唱えることで生まれかわり、大いなる力をもらっての(浄土門による)最終的な救済ということだろうか。抽象的でよくわからない。

つぎに、ユニークな語り口で人気のある仏教評論家、ひろさちやさんの「歎異抄の読み方」(日本実業出版社)から、上記の3つの疑問にあてはまる個所を引用してみよう。

「わたしたちがお念仏を称えて阿弥陀仏の極楽浄土に往生し、そこでみずから仏となり、その仏の大慈悲のこころでもって自由自在に衆生をすくい取ることである。凡夫の慈悲はしょせん中途半端なものだ。ただただお念仏することだけが凡夫に許された大慈悲心ではなかろうか、と親鸞聖人は言われた」

これによると、大いなるものとは「仏」であり、往生・生まれかわる所は「極楽浄土」であり、救う方法は「念仏」ということになる。冗舌なひろさんも、この点に関してはここまで。それ以上触れていない。

ボクの常識では大いなるものは仏とわかっても、だって、生まれかわるといえば、死ななきゃならないのでないか。死ななければ仏に生まれかわれない。極楽浄土にもいけない。それに死んでまたこの世にかえってくることができるのか。さらに「念仏」だけで救う、とはこれいかに?
ボクのような普通の人ならやっぱりこんな点にこだわるのでないかしら。

ひろさんの別の著書「親鸞を読む」(佼成出版社)を開く。ひろさんの多くの歎異抄親鸞の入門書・解説書のなかで、4条の解説は本書がいちばんくわしい。
「そもそも、助けてあげたい、と思ったとしても私たちにその人を助けてあげる力があるのでしょうか? 旱魃(かんばつ)に悩む農民たちに、作物も与えることはできないし、雨を降らせることもできない。飢えを満たすこともできません。
私たちには、他人を救うことなどできないのです。助けてあげられないのです。そのことによくよく気がついたとき、私たちはただひたすらお念仏だけ、それしかないのです。
思うままに人を助けることはできない。完全に人を救うことはできない。だったら、そんな中途半端なことはしないで、ただ念仏することが大慈悲になるというのです」

では、なぜ「念仏」が救済の決め手になるのか、「救う」、「救われる」とはいったいどういうことなのか。次回も漫談調の、ひろ節を聞いてみたい。
(次回につづく)