136 永遠回帰の謎を残して、最後の生き残り「脱兎」も逝く

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 136

136 永遠回帰の謎を残して、最後の生き残り「脱兎」も逝く

『脱兎』
ボクはこいつを嫌いだった。馴染みのノラたちに餌をやっていると、すぐそばをドタドタ・バタバタと往復運動を繰り返す。姿は見せずに悲鳴のように絶叫しながら駆け足のデモ行進だ。隙をうかがってはほかの猫の餌をつまみ食いして逃げる。ノラの中のノラ。こいつに餌をやる人はだれもいないだろう。しかし、妻によると、こいつは不妊手術の捕獲作戦に間違って引っかかって痛い手術をしてしまった。だから、私らも多少の責任を負わないと、と妻は気は心で、餌を置いていた。

付き合っていたノラ12匹のうち、2匹は我が家で引き取ったので、結局ノラとして生存しているのはこいつが最後になった。隠れてばかりいたのが、公然とボクらの前にも姿を現した。餌の催促も悲鳴から甘えたような声色に変わった。妻は「不妊手術したころにくらべてずいぶん小さくなった」といった。

氷雨の季節になった。脱兎の甘え声はしわがれ声に変わり、三毛がよくしたような咳をしはじめた。妻を見ると喜んで、体をコマのようにクルクル回転させたりした。日蔭者の脱兎が見せた初めての媚態である。それはボケ症状だと説明する人もいた。死に時が近付いている予感がした。

雪がやんだ夜、出かけた。いつもの幼稚園の門に脱兎がいない。諦めて帰っていると、橋のたもとの溝で低い疲れたしわがれ声を聞いた。脱兎が身を縮めている。鼻先に餌を置きながら、「衰弱して人目に体を晒すのが怖いのよ」と妻はいった。
翌日は定位置にも、橋のたもとにもいない。今夜こそ終わりか、と歩き出すと、どこかであのしわがれ声がする。近くの民家の前の車の下でしゃがんでいた。エンジンのぬくもりに温まっていたのだろう。よろよろしながら出てきて溝に降りたところへ餌を入れた。晩年の三毛と同じ体つきだ。

次の夜。どこにも脱兎はいない。幼稚園から橋の間を何度か往復していると、氷雨の中、のろのろこちらに向ってくる姿をみつけた。弱々しいしわがれ声とクシュンとせき込む声の連発。妻が駆け出していき、溝に餌を置いてやった。

今度こそ終わりだろうと思ったのに、翌日も脱兎はいつもの溝の奥で鳴いた。前夜とうってかわって若々しい声だ。猫はわからないことが多い。幼児帰りしたのかな。そんな餌やりが1週間ほど続いたある夜、溝伝いに疾駆する「脱兎」をみた。それにしても敏捷すぎる。外灯に一瞬浮いた体躯は毛並みの光る別の子猫だった。いつのまにか、脱兎から子猫にバトンタッチしていたのだ。まさかといぶかっていた妻も翌日改めて確認した。たぶん、衰弱した脱兎は餌を食べなかったり、食べ残したりしていたのだろう。それを子猫が失敬していたのだとボクらは了解した。

永遠回帰? 生まれ変わり? 喜んでいいことなのだろうか。
あのころは氷雨が続いていた。脱兎はほんとうは、いつごろこの世を店じまいしたのだろう? いまだについ思案することがある。
ボクの記憶に残る脱兎はドタドタ駆け回る足音と鳴き声だけだ。ろくすっぽ顔も知らない。餌を催促し、闇の中を走るだけで終えてしまったような一生。ちょっと哀れだが、晩年に束の間でも、自分だけのために食べ物を準備してくれる人間が存在したことはわかってくれたろう。そう思うことがボクの慰めになっている。

 最近、友人たちの訃報に接することが多くなった。脳梗塞や癌で倒れたという消息も届く。ボクがそういう年代にはいっているということだろう。そんな雰囲気で、以上10匹のあれこれを思い出すと気が重くなってくる。むろん、10匹はほんのとっかかりだ。この世には無数のノラ猫がつぎつぎ天文学的に出現するし、あの実験動物の悲惨を思え!

少しノイローゼになっているのかもしれないが、いつもひもじそうな駅の鳩たち、街のカラス、通勤路の雀、おいしい体に生れついたがゆえに人類が生存する限り、殺され続けねばならない牛、なにも悪いことはしていないのに、人間に捕まえられ、食われ続ける運命の魚という存在。そういう一切がうとましく、憂鬱になってくる。いや、実は、なけなしの金をはたいた投資信託が大暴落してしまったのが憂鬱に拍車をかけているのじゃないか、と自分を責めてみたりして、これまた自己嫌悪。あれやこれや。まことにお粗末、不景気なお年頃である。

 一発で元気の出る方法がないのなら、せめて動物たちのこんな悲惨を正当化する屁理屈はないものか。諦め、悟り、錯覚、なんでもいい、悲惨に馴染み、共存できる便法はないものか。
 萎えた気力の底からぼんやり浮かんだのが、むかし習った芭蕉の「野ざらし紀行」のいくつかの断片である。
 とりわけ、『棄児秋風』(きじしゅうふう)のくだり。(次回につづく)