134 別れの日々を思い出している秋のベランダ 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 134

134 別れの日々を思い出している秋のベランダ 

 久しぶりの休日。せまいベランダで元ノラ猫の2匹のお嬢さんとくつろいでいる。猫の手の届かない背中をブラッシングをしてやると、2匹とも腰を持ち上げ、左右にからだをよじらせ、顔は床にこすりつけ目を細めている。晴れた高い秋の空の下で、ちょっと気恥ずかしくなるポーズだ。そのあと、2匹は追いかけっこしたり、鉢植えの緑に小便をしたり。

 屈託ないしぐさにほっとしていると、反射的にいくつかのシーンが目の前を通り過ぎる。2匹のかつての仲間たちとの最後の日々だ。すでに詳しく紹介ずみだが、もう一度短くスケッチしておこう。別れた順にーー。

 『尻尾』
警戒深いやつで、餌をやりに行ってもほとんど姿をみせず、隠れて溝の中を移動しながら、どこまでもついてくる。立ち止まると、相手も立ち止まり、溝の底から顔だけあげてこちらをうかがっている。ほの暗い外灯で顔はよく見えないが、極端に短い尻尾が特徴だ。溝の中や垣根に餌を置いて立ち去ると、翌日には必ずなくなっていた。
昼間、ひょいと遭遇したことがある。そのときも溝の中で、面喰ったようにこちらを見ていた。案外とぼけた、人のよさそうな爺さん顔をしていた。それがふっと姿を消した。2年たらずの短い歳月だったが、雨の日も毎日、ボクらをどこかから監視し、こっそりついてきていた。淡白な付き合いだったが、逆にそれがほのぼのと懐かしまれる。まだどこかで生きているのだろうか?

『あんちゃん』
ノラ集団のリーダー格で、人の目を気にせず、ボクらをみつけると、豪快に鳴きわめきながら、近づいてくる。子分とおぼしき2,3匹も彼に引率されるようにやってくる。ほかのノラたちはだいたい居場所は決まっているのに彼は神出鬼没、ところかまわず、地球全部が自分の餌場と心得ているような振る舞いだ。車のラッシュする国道も我が物顔で往来し、橋のたもと、民家の庭先、車の下、豪邸の塀の上。どこからでも、ボクらを見つけると地団駄を踏むように鳴きたてた。隠密行動で餌やりをしているボクの面目は丸つぶれなのだった。
小雪の舞う日曜の夕方、国道の隅で横たわっている「あんちゃん」に遭遇した。頭部を車にはねられたらしく、口ひげも血に染まっていたが、損傷はほとんどなくきれいな身体だった。ふだん、人目を忍んで、薄暗い場所でこそこそ餌をやっているのでカレの風姿をろくすっぽ知らなかったのに気付かされた。そのことが申し訳ない気がして仏様を拝むようにしばらく合掌した。帰宅して妻に話すと、「あんちゃん、今夜からごはんを探して走り回らなくていいのよ、よかったね」と涙声でいった。

『デビル』
ボクらの餌やりのエリアへ途中から乱入してきたよそ者である。ギョロ目、いかつい容貌で、妻が嫌って「デビルみたい」といった。しかし、雨の日も、溝の流水に足を浸けたまま待っているひたむきさにほだされた。カレは万事、強引で、餌のやり方が遅いと前足の鋭い爪で引っ掻く。いつかは餌場の溝にたばこの吸い殻がいくつもあったので、除いてやろうと手を出したとたん、待ち構えていたデビルに傷つけられたことがある。2年間、毎晩同じ溝でボクらを待っていたのに、ある日、いなくなった。

『ローソン駐車場の兄妹猫』
空家で誕生し、幼年時代は母猫とともにいたが、やがて独立してローソンの駐車場に引っ越した。お客さんにもかわいがられ、人気者だったが、ボクらのことは覚えていて通りかかると、2匹が我先に追いかけてきた。ローソンそばの橋のたもとに近い人目に隠れた小路の奥で毎夜ボクらは餌を与えた。このままの状態が長く続くように、とボランティアの人にお願いして、不妊手術も施した。それなのに、ある日、ふいにいなくなった。2匹ともそろって。
「かわいい盛りだから、だれかにもらわれていったのでは?」と思うようにしたが、一方では店側が業者に捕獲を依頼したという噂も聞いた。ボクらに先立ち、兄妹が体をぶつけ合うようにして餌場の小路の奥へ転がり込んでいく姿がいまも焼き付いている。

『極チビ』
ローソンの兄妹のかたわれ。3匹きょうだいだったが、小柄な虚弱児で臆病で自立できず、いつも母親と住宅街の中の幼稚園や溝の中にいた。一帯のノラを不妊手術するため捕獲したときも、こいつだけは溝の奥から出てこず、つかまえられなかった。母親を我が家で引き取ったあと、孤児になった。それまで以上に憶病になり、溝の奥に引きこもったままだ。ボクの足音が近づくと鳴き出す。そこに向かって団子にした餌を投げ入れる。妻が近付いても反応せず、極チビはボクにだけ心を許してくれているようだった。
 いつまでもこんな状態にしておけないとボランティアの人たちが再度捕獲することになった。夜8時頃から極チビを挟むようにして溝の前後に網や籠を置いて餌で誘い出す作戦に出たが、極チビは動かない。ボクの呼びかけに最初のうち、短く答えていたが、ほかの人の気配を察知するのだろう、まったく反応しなくなった。諦めかけた時、獣医の専門家夫妻が細長い特殊な捕獲網をもってかけつけてくれた。数人が声掛けをし、やっと保護したときのあの安堵感!獣医の診察では、尻尾に大きな怪我があり、放置していたので壊疽になっている。治療してもこの体ではノラとして自立できないという。わが家に引き取りたかったが、痴呆の母と、元ノラなど3匹の猫をかかえてこれ以上はむりだ。結局、良心的な施設に格安料金でおねがいすることにした。不自由な体で仲間にいじめられないだろうか、餌はみんなに負けないように食べることができるだろうか。障害児をもつ親のような気持で、別れを告げたのだった。(つづく)