131 生老病呆死(12) 宇宙から来て宇宙へ帰っていく命

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 131

131 生老病呆死(12) 宇宙から来て宇宙へ帰っていく命

とことん考え抜いたら、もうそれでいい。答えはみつからなくても一件落着なのだ。どんな悲しいことでも悲しいままで宇宙に放り投げていいのだ、お前の責任は果たしたのだよ。許されるのだよ。――哲学をするとそんな考え方が身につく、という前回のA教授の話にボクは少し感動した。やせ我慢もあるだろう、努力目標として自分に言い聞かせているところもあるだろうが、いかにも哲学する人の言葉にふさわしい。同時にこの考え方は宗教的でもある。

 (このころの日記を開くと、喫茶店で、電話で、Aさんと頻繁に哲学の話を交わしている。話すというより、ボクの質問にAさんが答えるという一方通行だったが、Aさんは、「私も刺激を受ける」、と喜んでくれた。)
 
あるとき、Aさんは冒頭の言葉を補足するかたちで、つぎのようなことをいった。「哲学をしていてよかったと思うのは、絶体絶命の状況に追い込まれたとき、『ふっと息が抜ける』んです。『よそみ』ができるんです。」
よそみ、という庶民的な言葉がやさしく、親しみやすい。

 ボクは安心してペラペラとしゃべった。
 ――宇宙に放り出せば許してくれる、息が抜ける、といいますが、いったいだれが許してくれるんですか? 何か絶対的な存在にお任せして自分はほっと息を抜いて、よそみをするというわけですか? いずれにせよ、人間を超えた絶対者・超越者の存在を想定しての話ですよね。

 Aさんはわかったような、わからないような、どっちつかずの顔をして答えない。ボクはこのころ、宗教に色目を使いはじめていた。哲学書をやっとかじり始めたばかりというのに、早くも宗教に浮気をしかけていた。そして哲学から宗教に渡るつり橋として、ボクが重宝したのは宇宙論とか生命科学の解説書だった。哲学の知的おタクゲームは窮屈だ、だからといって、宗教のノーテンキな野外劇場も気恥ずかしい。この両者を「宇宙の広大さ」と「命の神秘」のイメージがとりあえず繋いでくれる気がしたのである。この間の消息はいずれ述べるとして、ボクは仕入れたばかりのダイジェスト知識を荒っぽく受け売りした。

「哲学はむろん、宇宙を視野にいれて考えるわけだけど、宇宙のことは人間には99%わからない。一方で、要するに宇宙のすべてはわれわれとつながっている。元をただせば地球の、石も植物も虫けらも(むろんノラ猫たちも)人間もおなじ。4つの塩基から派生している。この神秘と無限の時空。その中の、たかだか自分1個のいのちなど、自分がいま悩んでいることなど、とるにたらない。ちっちゃい、ちっちゃい。しかも、自分が死んでも大宇宙のいのちの糸につながっていくのだという思いーーポカーンとしていていいというのは、たとえばこんな事情が背景にありませんか」

 Aさんは、「まあ、そういうことですかね」と気乗りしない答え方をした。ボクのメンツをたててくれたのかもしれない。Aさんは特定の宗教を信じているのだろうか。もし、信仰しているとしたら、専攻分野からいって、キリスト教に違いないとボクはにらんだ。けれど、他人の宗教は、セックスに似て尋ねづらい。

 しばらくしてAさんは自分の方からこんなことを言い出した。

「私の学友でキリスト教の信仰厚い有名な哲学者がいます。彼は何事も神を中心にすえています。私はこれしかない、これに従え、という一神教はどうも苦手でして。むしろ仏教の、命の源は『空』、宇宙からきて宇宙へ帰っていくみたいな考えに近いですな。もっとも、彼の神と、私の空は同じようなものかもしれないけど」

――Aさんは仏教を信じているのですか?

「いえ、そこまでいきません。ただ、般若心経はいいですね。とくに有名な色即是空 空即是色、のそのつぎの言葉――受想行識亦復如是が気に入っています」

般若心経の解説書はそれこそ枚挙にいとまがないが、もっとも「科学的に」書かれていると思うのは玄侑宗久さんのちくま新書版である。それと岩波仏教辞典を参考にごくごく簡単にこのくだりを要約してみた。

かたちある物質的存在は絶えず変化し、やがて消滅する。それはさまざまな関係性のなかで生じた暫定的な存在だから。むろん、このことは物質的存在だけでなく、人間の心や感覚の働きにについても同じことがいえる。心や想念は環境の変化や刺激に応じて絶えず推移している。いつまでも固定した客観的な心、というものはない。この経文はいっさいの存在や現象の空を謳い、心の固定的実体的な見方を排除することで、独断、偏見、煩悩、執着などを払拭する考え方を説く。無限の多様のうちに自由に、多彩に、思考し、実践する場を開こうという説法。

 ボク自身も分からない要約になったが、もっと要約すれば、「悲しみや苦しみといった心の働きは無限の関係性のなかで絶えず推移し変化している。客観的なものなどなにもない。心の持ちようだよ!!」という励ましなのかしらん。
(この項はつづく)