129 動物実験(61) 野上ふさ子さん、ごめん。また遁走です!

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 129

129 動物実験(61) 野上ふさ子さん、ごめん。また遁走です!!

野上ふさ子さんの著書「新・動物実験を考える」に案内されながら続けてきた
動物実験シリーズはこのあたりで一服します。ボクが紹介できたのは「新・動
物実験を考える」の前半だけです。

後半にも『動物実験と人体実験の境界、動物を犠牲にしない暮らしを・消費者
としての選択、生命工学の行方、医学にもエコロジーを、新しい生命操作の行
き着く先は?、科学研究の闇と情報公開、「美」の犠牲になる動物たち』など興味のある重要なテーマが目白押しですが、ちょっと息切れしてしまいました。
気力をつけなおし、いずれ再挑戦するつもりです。

これまでも何度かこうやって野上ふさ子さんについていっては途中で逃げ帰る
ということを繰り返してきました。ボクの根気がないということのほか、動物
実験というテーマの重さも原因です。ボクもしんどかったけど、 読まれる方も
しんどかったとお察しします。でも予想以上にたくさんの人の訪問を受け、あ
りがとうございました。動物実験シリーズの後は、動物たちに触発された形で、話の中心を哲学、宗教めいたものに移そうとおもいます。むろん、まだまだノラたちは登場します。

四半世紀にわたって、動物実験という重いテーマから逃げず、仲間たちととも
に理論と実践の両面で二歩前進、一歩後退の苦しい、しかし着実な闘いを続け
ておられる野上ふさ子さんに改めて敬意を表するとともに、動物実験シリーズ
の締めくくりに寄稿をお願いしました。


動物実験を考えると見えてくるもの
動物実験廃止・全国ネットワーク」「地球生物会議」代表  野上ふさ子

このブログで、『新・動物実験を考える』という本をご紹介いただき、動物実験という重いテーマに向き合ってくださったことを心から感謝いたします。

一般の人々は、人類の福祉のために必要な動物実験に反対するとは、人間よりも動物の方が大事なヤツに違いない(極端なまでの動物愛護家であろう)、と誤解しているのではないかと、思います。

しかし、私が本書で最も言いたかったことは、動物実験がどんなに残虐非道な行為であっても、それが人間の利益になるなら道徳的に許される、ということは間違っていませんか、という問いかけです。

近代科学は、人間と動物・自然の間に、絶対的な境界線をもうけて、人間のみが権利の主体であって、動物や自然は一方的に人間の支配を受けるべき存在とみなしています。
そして、人間の利益のためなら、他の動物/生き物/ひいては自然環境を、どのように犠牲にしてもよいとする偏った観念を有しています。

動物実験という行為は、そのような人間中心の思考の極地というべきものです。
動物実験というテーマで考えていくと、この人間中心社会が引き起こしている
限りなき物質的な欲望、破滅的な競争原理、科学教への盲信などなども、
同時に見えてくるようになるから不思議です。

そして、人間中心の社会が、実はその表向きとは反対に、いかに人間を大切にしない非人間的な社会であるかもよくわかります。

現に海外の例を見ても、動物実験に規制をかけ、動物の保護と福祉の向上を進めている国々は、人間の福祉も、日本よりははるかに進んでいるようです。

動物にも思いやりをもち、互いが互いを助け合うような文化があれば、人間どうしもお互いに安心して安全に暮らすことができる社会になるでしょう。

環境問題について考えてみても、動物実験をしなければならないような
危険な化学物質を製造すること自体を避けることで、止めどない環境汚染への道を歩まなくてもよくなるでしょう。

動物実験を廃止していくことは、動物の犠牲を減らすばかりでなく、自然破壊や環境汚染の中で苦しむ人間自身をも救い出すことになるでしょう。

心ある皆様が、少しでも闇の中の実験動物たちの悲惨な状況に気づき、これは人ごとではないと思うなら、おのずと道は開けてくると思います。

そして、いつか後世の人々は、今の人々が中世の魔女狩りについて述べるように「動物実験! なんというおぞましく野蛮なことをしていた時代だったのだろう」というようになるに違いないと思います。