126 動物実験(58)私たちにできること 2 「ノラの餌やり、

      ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 126

126 動物実験(58)私たちにできること 2 「ノラの餌やり、ストレス、不妊手術、出費」

 「新・動物実験を考える」よりーー。
『繁殖制限を
 犬猫は6か月を過ぎれば出産可能になります。年に2〜3回、2〜7匹ずつ産み,ネズミ算式に増えるので育てられない場合は不妊去勢手術をする必要があります。手術は不自然、かわいそうという意見もありますが、生まれてから捨てるのは、動物の親にとっても子にとっても、もっとかわいそうです』

ノラ猫の餌やりをして2年目ぐらいのころ、しんどかったが、充実感もあった。夕食を終えて一服すると、雨の降る冬の夜もでかけた。テレビがどんなにおもしろくても立ち上がった。自宅近くの川のほとりの住宅街をおなかをすかせてうろつく7匹ほどのノラ猫にせっせと夕食を届けた。空家の軒下、溝、橋の欄干、幼稚園の門前、畑の隅っこなどでノラたちは待っていた。

住民はさまざまだ。猫嫌いの人とはトラブルもあった。黙って応援してくれる人もいた。夜になると、いいようのないストレスがこみあげてきた。泥棒を職業とする人はたぶん、こんな心境なのだろうと想像したりした。

そんなあれこれを動物保護のボランティアのおばさんたちに話していた。ちょっと得意でもあった。聞き終わったおばさんの1人が「餌をやるのはいいけれど、不妊手術は? 赤ちゃんが生まれたらどうするの?」と水をさすように言った。別の1人に「いっそ自分で飼ったら?」と追い打ちをかけられた。

不愉快になった。こちらはいいことをしているのに! 少しばかり俺よりくわしいとおもって! 不妊手術の必要なことぐらいわかっているよ! 
その一方で、いちいちそこまでせんでもいいじゃないか、みたいな気持ちもあった。

中国の天山にいったときのことが頭に浮かんだ。山すその茶店で休んでいると、カラスを小型にしたような鳥が近付いてきた。茶店だから、観光客にも馴れているのだろう。弁当のおかずをひときれ、何気なく放ってやった。とたんに同行のおばさん連中が数人、「なにをするの!環境が汚染するじゃないの」「鳥だって汚染される!」と声をあげた。要するに弁当のおかずは人工的であり、大自然のなかの山や鳥を汚すというのだ。それはそうだろうが、そこまでいわなくても、という気持ちがボクにはあった。それにこの年になって、なにもおばはんに叱られる謂われはあるまいという開き直りみたいなもの。

 ノラの餌やりを毎夜続けるのは物理的にもきつい。飲み屋にいても時間が気になり、八時には席を立つ。ドライフードは喉が渇くと聞いたので缶詰と混ぜて餌作り。ノラは飲み水も満足にとれないからだ。住民や通行人に怪しまれないように素早く行動せねばならない。ノラが所定の位置にいないこともままある。すでに書いたように住民の110番でパトカーがかけつけ、若い警官に腕を取られ、尋問されたりした。
ともかく7匹全員に餌がゆきわたった帰りは大仕事をすませたような充足感だ。

 ただ、どこかで、このままでいいと思うなよ、と自戒の気持ちはたえず疼いていた。住民の目をこれからもずっとずっと盗み続けねばならないという気苦労。加えて、やがてのーー「いのちの大量発生」の予感。ふたつの重圧がのしかかり、心はいつも雨雲が垂れこめている。そのうちなんとかせねばと焦りながら、1日延ばしにその日暮しを続けていたのだった。

 ひとりのおばさんがその場をとりなすように「不妊手術をしておくと、住民にも言い訳ができますからね」といった。はっとした。なるほど、活路はそこしかない。やっと腰をあげた。でもどうやってノラをつかまえるのか。きまぐれ、のんきな餌やりオンリーマンとしてはなにもできない。結局このおばさんボランティアグループに頼んで捕獲したのだった。(その経緯は本ブログ26回〜31回に書きました)

 ボクはケチでもないし、金まわりもとくに悪い方ではない。しかし、不妊手術には26回で書いたように金がかかる。良心的な獣医、金儲け本位の獣医、で相場はいろいろ変わるらしいが、この不況時、決して安いものでない。ボクはやっぱりケチなのかしら。いざとなると、縁もゆかりもないノラ猫になんでこんなことせんならん?という気持ちがひょいひょい頭をもたげる。手術代を飲み屋に回せばママの笑顔を何度見れることだろう。この7匹でノラの餌やりとは縁を切ろう。そう思うことでケチくさい心を払いのけることができた。

 まじめにノラ猫を不妊手術し続けたために鬱になってしまった女性を知っている。彼女は手術代を稼ぐために昼の会社勤務のほかに、夜の勤めに出た。きれいな中年だったが、二十歳前後の女性に交じってラウンジで接待する姿はいたましかった。1年ほどして夜も昼も勤務をやめて家に引きこもってしまった。

このブログを書くため、きょう、彼女の自宅に電話すると、お母さんが出てきて、「もう2年たちますが、いまだに…… 」。鬱状態が続いているそうだ。
 お母さんもかつて動物のブランティア活動をしていた。娘に理解はある。「孤立無援でしょ。お金をだすばかりで。行政も助けてくれないし」といってゆっくり電話を切った。
(この項は次回につづく)