124 動物実験(56)歴史のドラマ 11 業務用の檻と消えた猫

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 124

124 動物実験(56)歴史のドラマ 11 業務用の檻と消えた猫たち 

 大阪高裁での「猫の大量詐欺事件」の最大の焦点は女性がもらい受けた猫たちの行方だった。原告になった8人の14匹は? さらに目撃されたのも合わせて約40匹とみられる猫たちはどこへ消えたのか?

 ●第13幕 大阪高

はじめ、女性は14匹の猫について、2匹は死んだ。残りの12匹は野外で放し飼いにし、ベランダや玄関で餌を与えている、と説明した。それなら餌を与えるところを見せてほしい、とボランティア側は要求したが、「いろいろ嫌がらせの脅迫電話がきている、ネットにも流れたので迷惑している。原告らに私も会いたくない、猫もあわせたくない」と女性は突っぱねていた。
 
ところがその後、女性は「じつは自分は高知県内に引っ越している、もらった猫たちも高知県内で飼っている」、と前言をひるがえした。
裁判所のすすめで原告・女性(被告)の双方が現地で落ち会い、猫たちの飼育状況を確かめることになった。原告側は代理人を含め10人がビデオやカメラ、ケージなどを持参し、女性の指示した高知県内の場所へ出向いた。しかし、女性は体調不良を理由に姿をみせず、猫も見当たらず。

控訴審判決は1審判決より被告に厳しい結果となった。
被告側の損害賠償は1審判決の72万円から138万円に増額された。
(ちなみに、損害賠償に計上される猫の値段は1審判決では一匹5万円、2匹以上渡した場合は10万円と算定されていたが、2審判決は一律15万円に増えた。)

原告側が損害賠償の増額より評価したのは、1審判決では認められなかった猫の返還を命じたことである。原告側はそれぞれの猫について顔や体型、尻尾の形状など特徴を一覧した「ねこ目録」を写真つきで提出していたが、これに従って猫を返すように被告に命じた。

女性側はこれを不服として最高裁に上告する一方で、原告側の猫の引き渡しの強制執行高知地裁執行官によって行われた。猫を飼っているとされる高知県内の女性の実家を法の力で強制的に捜索し、猫を保護するのである。

原告をはじめ、猫の扱いに慣れた支援者ら7人が応援にかけつけた。実家にはやはり女性は不在で、親族2人がいたが、詳しい事情は知らないといった。
庭の段ボール箱に3匹の猫がいたが、まだ幼かったり、特徴などからみて、あきらかに原告の譲渡した猫ではない。
そして、納屋から大型の業務用の檻がみつかった。女性の犯罪を暗示していると原告側は主張した。

ことし2月、最高裁は女性の上告をはねつけ、民事では原告の全面勝訴となった。

しかし、刑事事件としては大阪地検が不起訴としたため、女性の刑事責任は問われず、もはや事件の核心に迫ることはできなくなった。行方不明の猫はいまもみつからないままで幕を閉じる。それが唯一、原告側を悔しがらせる。

なぜ、不起訴になったのか。たとえば、業務用の檻の存在をどうみるかで、検察側と原告側では見解が真っ二つに分かれた。
女性はほかにも同じような業務用の檻を2つ、あわせて3つ持っており、原告側は「これらの檻は業者の保管・移動のためのツールであり、女性ははじめから家族の一員として飼う意思はなかった証拠」と主張するのに対し、検察側は「檻がある以上、被告は飼う意思があったはず」と逆の見方をする。これが不起訴処分とした理由のひとつらしい。

ともあれ、ノラ猫・捨て猫をテーマに、法廷で人々が真剣にこれだけの議論を交わし、民事では最高裁の最終判断で原告が勝訴したのは画期的な出来事だ。
原告、支援者の人たちの動物への愛情(それはむろん、人間にも共通するものだ)と、それを支えてほとんど無報酬で献身的に努力した二人の弁護士にボクは「ありがとう・ありがとう・よくがんばってくださいました」、と頭を下げまくりたい。この人たちがいないと、神様がつくった猫たちなのに、何者かによって痕跡をかき消され、闇から闇へ通過するだけだったろう。

ネットには心やさしい人たちの喜びのコメントがあふれている。その中に以下のような趣旨の言葉があった。

『この種のできごとは、これまでだとーー「相手はたかがノラ猫じゃないか」「もらってくれた人にとやかくいう方がおかしい」「裁判所はどうせ捨て猫のことなどわかってくれない」「弁護士だって、ノラ猫のことなどまともに取り上げないだろう」といわれるのでないか、と思っていた。でも、これからはそうでないのだ!!』