118 動物実験(50)歴史のドラマ 5 「隠されねばならない存

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118 動物実験(50)歴史のドラマ 5 「隠されねばならない存在」

●第6幕は「勉強しよう」――野上ふさ子さんの場合

 30年近く前、野上さんはふと動物実験に関心を抱く。
「動物がかわいそう」という気持ちとともに、その研究がどんな形で行われ、どんな意味を持っているのか、きちんとした勉強をしようと思い立つ。都内の大きな書店を回り、動物実験に批判的な文献を探すが、どこにも見当たらない。当時、国内では動物実験に批判的な立場で書かれた本は翻訳も含めてまだ一冊も出版されていなかったのを野上さんは後になって知った。
 「新・動物実験を考える」から、野上さんの個人的模索をたどる。

 なぜ、一冊もないのだろう?
 大学の医薬科・歯科系・獣医学系では動物実験は必修だ。また全国の医科系大学や病院、製薬会社、各研究機関では動物実験の伴わない研究はないというのに。年間2000万もの動物がその犠牲になっているというのに。
そのとき、はじめて、実験される動物は世間に「隠されねばならない存在」「あってはならない秘密の生き物」なのだと気付いた。

医学書総目録」を調べた。実験動物の文献は数冊みつかった。しかし、内容は実験動物の飼育管理や実験手技など研究者サイドの技術的なテーマに限られている。動物の取り扱い、飼育環境など「動物福祉」に言及している本はなかった。

 いかめしい医学書の陰で、苦悶しながら死んでいく無数の動物たちの、身体や、いのちや、魂や、声なき声はどこにいったのだろう? いままで通り闇から闇へ消滅、でいいのだろうか?、それはあんまりだ。そんな人間社会はなにかおかしい。

 実際にどんな実験が行われているのか?、具体的にどんな目的で?、どんな動物を、どれくらいの数を使って、どんな方法で? 
 
 医学関係の図書館や情報センターで学会誌を調べることからスタートした。ただし、ここで発表されているのは何らかの「成果」が示された事例の報告や要約にすぎない。研究者がちょっとした思いつきでとりかかり、途中でやめたり、放り投げた実験ーーじつはこのほうが実験の数も多い、問題点も多い。このことはのちにいろんなケースから推測されるのだがーーなどはどこにも出てこない。

 もっといえば、動物実験は実際の医療現場で具体的にどれだけ役立ってきたのか、実験のデータと臨床での成果を結ぶ因果関係は動物実験の意味を問ううえでとても重要なのに、そんな手掛かりなど雲をつかむような話になってくる。

 逆に動物実験によって引き起こされた弊害や過ちも当然あるはずだ。かなり多いと推測される。それがどこにもない、というのもふしぎだ。

 (このあたりの野上さんの舌鋒は鋭い。そして、動物実験をうのみしたために生じた悲劇としてあのサリドマイド事件をあげている。少し横道にそれ、理屈っぽい個所だが、大事なところだ。野上さんの文章を要約しよう。)
 
動物実験の目的は最終的に人体に適用することにある。けれど、人間と動物、あるいは動物の種差によって薬物への反応等が異なる。だから動物実験のデータが人間の臨床医療に通じないケースも多い。たとえば、催眠剤サリドマイドはネズミを使った実験では異常がなかったため安全だとして発売された。しかし、人間では胎児に作用して大きな悲劇をもたらした。メーカーは『動物実験で安全性は証明されている』と言い張りながら、改めてサルで実験したところ、異常が現れたのでやっと発売を中止したのだった。

サリドマイドの場合はサルと人間で同一の反応が出たが、例えばプラスチックゴミの焼却時などに発生するダイオキシンはどうか。
人間には強力な毒性をもち、マウスにも胎児に非常に高い割合で奇形を発生させるが、サルには発現しないという。

人間が餌付けしてきた高崎山のサルは群れの半数に手足の欠損などの障害が発生している。これは餌に、農薬のついたリンゴや大豆のせいではないかといわれている。だが、サル以上に農薬など化学物質に汚染された食べ物をとっている人間では農薬と催奇形性の関係ははっきりしていない。

こんな研究論文もある。
『ラットと犬と人について6種類の薬物を投与したあとに起き89種類の作用を比較すると、ラットから人を予測する可能性は7%、また犬から人を予測する可能性は26%という結果が出た。そして人にだけ出た作用は42種類もあった。以上を総合すると、動物のデータから人の場合を判断できない可能性がじつに約50%の高率にのぼることがわかる』(「アニテックス」1990年11月号)」

最後に野上さんはチクリとひとこと書き加えている。

「実際に人体で試してみないと分からない。こういう意味では生体実験はより人間に近い種を用いた方がいいに決まっている。ネズミよりは犬や猫、それよりはサルやチンパンジー、しだいに人間に近づいてくる。人間の実験の場合は臨床試験という。人体実験と言わないので動物実験のような残酷感はないが、いわゆる治験薬(実験段階の新薬)の投与を受ける人は、人体実験第一号ということもできる」

「患者に無断で実験」をして問題になった東大医科学研究所の教授らは、国の補助金を受けて作成した研究報告書にも「患者同意」とうそをついていたことが11日報ぜられた。研究室の暗がりに隠された人体実験は、何をやられてもわかったものでないことがまたひとつ明るみに出た。ね、だから、動物実験にも人体実験にも情報公開が大事なのです。

(この項は次回に続く)