117 動物実験(49)歴史のドラマ 4 「いのち」の大量消費

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 117

117 動物実験(49)歴史のドラマ 4 「いのち」の大量消費

 ●第5幕は動物実験の隆盛。

 創始者ベルナールの妻と娘は反旗を翻し、当時の著名な思想家、文化人、芸術家の多くが賛同し、動物実験反対を宣言したが、あれから150年。動物実験は増大し続けている。「新・動物実験を考える」の10章「なぜ動物実験は隠されているのか」の後半は、強大な動物実験の城に立ち向かう野上ふさ子さんの静かな戦闘宣言である。ベルナールの妻と娘の遺志を継承する決意表明でもある。

 野上さんの著書によると、動物実験が質量ともにウエイトを増したのは、第一次、第二次世界大戦の影響が大きいという。ふたつの戦争を通じて軍事用に開発研究された化学物質の試験が飛躍的に増えた。さらに戦後の数十年、医薬品をはじめ、農薬、食品添加物、洗剤、化粧品などの日常用品の開発のために利用された。

 実験動物の数はもちろん、種類も広がった。マウス、ラット、モルモット、ハムスター、ウサギ、ピーグル犬をはじめとする犬各種、猫も同様。豚、鶏、魚、サル各種、チンバンジー、これらが大量に犠牲になった。よりデータが整備しやすいように体重、体型、遺伝子などの均質な「いのち」がどんどん作りだされ、どんどん使い捨てになった。 

 さらに従来の品種では物足りないという研究者の要請にこたえて、これまで神様が作ったことのない新しい動物を人間がつくりだすことになる。
「実験専用動物」のお目見えである。

 野上さんがあげているのは、▼生物として本来固有の免疫機能を欠いたヌードマウス▼遺伝子組み替えでつくられたトランスジェニック動物▼異種交雑のキメラ動物などである。

 いずれも以前の自然界には存在しなかった「いのち」だ。
神様が作ったのでなく、人間が作った「いのち」「生き物」がどんど世の中に作り出されているのである。これらの生物をボクはまったく知らなかった。

試みに手元の国語辞典で「キメラ」を調べてみる。
? ライオンの頭、蛇の尾、ヤギの胸を持ち、口から火を吐くというギリシャ神話の怪獣。フィレンツェ国立考古博物館に所蔵されている怪獣の図も載っていたが、なんともけったいな人間の想像動物だ。
? 生物学で異なる遺伝子型の細胞が共存している状態の1個体。植物では接ぎ木したものにみられ、動物では異系統の発生初期の胚を融合させて作った人工エキメラマウスなどがあるーーと説明されていた。

 トランスジェニック動物は国語辞典にはなかったが、ネットには満載だった。豚を遺伝子組み替えて、サルに臓器移植した話などもある。東北大学なども業者とタイアップして産業化しようとしている、と宣伝している。
読むだけでくたびれてきた。人間の好奇心の偉大さというか、果てしのなさ。そして原罪、不殺生…… さまざまな思いが去来する。
ボクはもうけっこうだ。神様が作ったこの自然界、自然に存在する動植物たちでとりあえず満足、納得、我慢、諦観することにしたい。それ以上にこまごまと分け入りたい人、新種を創りだしたい方はどうぞお先へ、と道を譲りたいような気持。

「果てしのない実験的研究」と指摘した野上さんは絶望のあえぎのように書く。
 「器具や検査の方法も精密化され、研究分野も非常に細かく専門化されて、動物実験の全体像はますます捉えにくくなってえいます。一般社会においても、動物実験は医学の基礎研究のためには必要だという通念がより深くはびこっています」

 野上さんの細い喉元がひくひく動くのがみえるようだ。
野上さんはもとより非力だ。野上さんのもとに集っている人々もひとりひとりはおそらく非力だろう。

けれど、野上さんはこうも書くのだ。
 「それでもなお、動物実験をめぐる状況で一つだけ変わらないことがあります。それは、いくら人間のためとはいえ、動物をこれほどに痛めつけ苦しめるのはあまりに『かわいそうだ』という素朴な感情を誰しもが抑えることができないという点です」

 そして、当の研究者の著書からつぎのような言葉を引いている。
 「動物実験は本来、残虐な行為である。…正常な感覚では一般の部外者の目には触れさせたくないものばかりである」
(佐藤徳光「動物実験の基本」西村書店。1992年)

だからこそ、動物実験の実態を明らかにしなければならない、密室で研究者たちが動物の犠牲を隠し続けているうちに感覚がマヒし、どんな残虐行為にも心を動かされなくなる事態の恐ろしさ!と、細いが鋭い声で叫ぶのだ。
 (次回は野上ふさ子さんの個人的経験と、具体的な提案を。)