116 動物実験(48)歴史のドラマ 3 反旗を翻す妻と娘

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 116

116 動物実験(48)歴史のドラマ 3 反旗を翻す妻と娘

●第4幕は妻子の反乱という意外な展開。

実験をやりまくり、動物を殺しまくり、フランス医学研究者の頂点にのぼりつめたベルナールを足元からひっくり返したのは、ほかならぬ彼の妻と娘だった。かねてベルナールの残虐行為をおぞましく身震いしていた2人は、彼の死後まもなく、フランスで最初の「動物実験反対協会」を結成したのだ。

初代会長には世界的文豪、ヴィクトル・ユゴーが選ばれた。
就任の第一声は「動物実験は犯罪である」だった。
動物実験という医科学の技法を発明したのも西洋だが、同時に動物実験がもたらす人間の残酷さへの反省と非難がわきあがったのも西洋だった。

以下、「新・動物実験を考える」の野上ふさ子さんの文章を書き写す。
「ジョン・ラスキンバーナード・ショーカール・ユングロマン・ロランなど、当時の著名な文化人や芸術家の多くは動物実験に反対する立場をとっています。ドイツの音楽家リヒャルト・ワーグナーは、『動物実験が、無益であるという理由ではなく、動物への愛と共感のゆえに廃止されるならば、人類は大きな精神的進化を遂げるであろう』と述べています。

また、インドでは、マハトマ・ガンジーがアヒムサ(不殺生)の精神に基づき、生涯を通じて動物実験に反対し、次のように述べています。

動物実験は、神が造られた美しい生きものたちに対して冒している人間の罪の中でも、最も罪深いものだと思います。自分たちの生きる代償に他の有情の生きものたちを苦しめるくらいなら、われわれは自分の生命を断念すべきです』(「ガンジーの健康論」マハトマ・ガンジー著、編集工房ノア。1982年)

人類の病気の研究のためなら、動物や他の生命を無制限に犠牲にしてもよいのかという疑問は、動物実験に常につきまとう問題です。たとえ動物実験によって何らかの新発見がなされ、それによって医学がいくらか〈進歩〉したとしても、それが人類の道徳的・精神的退廃を招くならば、それは倫理的に過ちであり、行なってはならないという主張もまた絶えず行われてきました。」

このくだりを読みながら、ボクは生かじりの哲学や宗教のテーマをダブらせていた。こまかいことは後に回すとして、中世哲学の「普遍論争」や近代哲学の「主観・客観問題」という2大難問だって、動物実験と人間だけの幸福、という視点にひきつけて思案するとうんと具体的で身近に迫ってくるじゃないか。

――ここまで書いたとき、夕刊がきた。3つの人殺しで社会面が埋まっている。

17歳が「殺してみたかった」と寝ている父親に斧とナイフを振い、18歳は「殺しても金を取ろうと思った」と女友だちの母親の頭に鉄アレイをぶつけ、公園ではホームレス老人が頭や腹や背中をやられていた。付近は若い男が出没し、ホームレスを襲う事件が相次いでいるという。
未成年者が親を殺傷した最近の事件をミニ特集している新聞もある。ほんとにこんなこと珍しくなくなったね。
数日前は77歳が一家4人を皆殺しにしたばかりだ。

自分の欲望(研究も欲望の1類型でしょう)のためなら他の命を無制限に犠牲にしてもいいという風潮がふつうになりつつあるのだろうか。これではまるで動物実験の世界ではないか。
(この項は次回に続く)