115 動物実験(47)歴史のドラマ 2 まず実験だ、そのあと考

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115 動物実験(47)歴史のドラマ 2 まず実験だ、そのあと考えよ

●第3幕は動物実験創始者ベルナールをめぐる評価。

賛否が極端にわかれていたようだ。
反対派は、「彼は医者になる能力がなかったので実験室に閉じこもって罪のない動物たちをありとあらゆる生体実験のツールにした。」とつぎのような例をあげている。

:糖尿病の秘密を発見するために、数千頭の犬を麻酔をかけないで、脳にメスを入れたり、脊椎を切断したり、すい臓とその神経束を取り出したりして、苦しませたあげく、殺害した。

:毒物の生体に対する作用を調べるため、動物にさまざまな劇薬を食べさせたり、注射したり、吸わせたりした。

:ベルナールの実験室は地下にあり、薄暗くじめじめした、まるで墓場のような空間で、そこには毒を盛られた犬、種々の臓器を切除された犬たちが瀕死の苦しみの中で横たわっていた。

:あまりの光景にたまりかねた彼の妻と娘は、これらの動物の手当に努めたが、とうとう動物保護協会に告訴しようと試みた…。
(以上「罪なきものの虐殺」ハンス・リューシュ著、新泉社、1991)

一方の擁護派。

:ベルナールの妻は夫の偉大な学問的研究の意義を理解できないわからずやの偏狭な女性だった。結婚後17年後には完全に別居し、夫の死にも立ち会わなかった。

:ベルナールは家庭的に恵まれなかっただけでなく、長年の地下室での研究がたたって、晩年は坐骨神経痛をはじめとするさまざまな病気に悩まされた。
(以上 伝記「クロード・ベルナール」オルムステド著、未邦訳)

事実関係からいえば、ベルナールは世渡り上手だった。動物実験の成果を権力者たちに巧みに売り込み、金銭と名誉を手に入れ、アカデミー会員に推薦され、フランス帝国上院議員にもなり、最後は国葬にふされた。

しかし、現代の時点では彼の実験のほとんどは過ちであったとされる。そのおびただしい動物の犠牲によって彼は当時の医学研究者の頂点を極めたが、現代に通じる実績はない。

むろん、当時から動物実験の反対運動はあった。
先述の、ベルナールに好意的とされる伝記から野上さんはつぎのような挿話を抜き出している。

「ベルナールの師のマジャンディは、ベルナールの感覚神経と運動神経に関する説を正しいと証明するために自ら4千頭の犬を殺した。次にその説が間違っていることを立証するために新たに4千頭の犬を殺した。その後、多くの動物の犠牲の上に、やっぱり初めの説が正しいということに落ち着いた。

マジャンディは、そういう実験を繰り返した人物で、ついにクエーカー教徒たちから『あなたには動物を殺したり、苦しめる権利はない。あなたの所業は、人々に残酷なことに慣れさせ、平気にさせる、そういう悪い先例をあなたは実践している』と強い非難を受けたという。」

現代医学に貢献する何ものも、ベルナールは残していない。
いや、嫌みな言い方だがーーひとつだけ、現代にも通じる〈教え〉を残したというべきかもしれない。それは「とにかく動物実験をやりまくれ、考えるのはそのあとからだ」という教えである。

これが彼のモットーだった。
実験には失敗がつきものだ。どれほど多くの動物を使って、どれほど多くの実験をおこなったかということが重要であるーーと、彼はつねづね語っていたという。

この教えはいまも、わが国の多くの研究者に引き継がれ、多くの動物たちに無意味な苦しみと死をもたらし続けている。
(この項は次回に続く)