112 動物実験(44) 日本で最初の警鐘――専門バカさん 

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112 動物実験(44) 日本で最初の警鐘――専門バカさん  

動物実験には重大な問題があるとわが国で初めて世論にアピールしたのは、1986年11月14日付け朝日新聞の「18頭の生きたサルをコンクリートに激突させる実験」の記事だった、と野上ふさ子さんは「新・動物実験を考える」に書いている。

記事は筑波の自動車研究所と東大、慈恵医大の共同研究で7年間も行われているこの実験に対して、国際霊長類保護連盟と動物実験の廃止を求める会(当時)が動物虐待だとして抗議しているという内容だった。

この報道に対し、研究者側からの自己弁護・反論も2度同紙に掲載された。
野口淳夫筑波大講師は「生きたサルを車に乗せてコンクリート壁にぶつけて殺すタイプの実験ではなく、逆にサルを固定し3種の方法で衝撃を与え、その過程で死に至る個体も出た」と実験方法の違いを力説している。

このくだりを読みながら、ボクはつい、この人、アホじゃないかと思ってしまう。サルからぶつかったのでなく、固定したサルにモノをぶつけたのだ、と方向の違いを強調したいらしいのだが、これって、サルの衝撃、恐怖、苦痛においてどんな違いがあるんだい、坊や、言ってごらん。
死に至るほどの衝撃を加えたのにかわりはないんだろ。

学会誌に発表された論文によると、この実験では体重4・3キロ〜13キロのニホンザル7頭、アカゲザル11頭の計18頭を人間が椅子に座るように上半身を直立させて固定し、サルの前頭部と後頭部にハンマー状のものを激しくぶつけている。ぶつけた回数は74回。18頭中8頭が頭の骨を折るなどして死亡、生き残ったサルもすぐに殺され、解剖に回された。

縛りつけられた身でハンマーを74回も投げつけられる恐怖はいかばかりであったろう。

ところで、麻酔はしていたのか。
サルが昏睡状態になると神経・生理的反応を調べることができないので、身体が動けない程度の軽い麻酔しかかけていなかった。

そもそも実験の目的は?
中村紀夫・慈恵医大教授や野口講師によると「年間1万人前後の死亡者を発生する頭部の超重症頭部外傷を減らすためには、ヒトの頭部の衝撃耐性を明らかにする必要があり、最もヒトに近いサルを用いた」「脳震盪と頭部損傷発生の関係の解明」とある。車の人身事故防止がおもな目的といってよい。

そしてサルたちの激しい苦痛と死を引き換えに得られた結論は、「脳震盪が激しいほど脳波の振幅も増す」などという内容だった。
アホかいな、こんなことを知って何になるのか。

野上さんはサルと人間は体の姿勢も構造も歩き方も頭の大きさも体重も身長も相当に違うではないか。それをむりやり固定して運転席にいる人間のような姿勢をとらせて、人為的に衝撃を与えたところで人間のケースにあてはめることができるのか。

それより年間1万件もの人間の犠牲があるなら、事故現場の検証を徹底し、臨床医のデータを蓄積し、これらの経験を生かす努力をすべきでないか、と問うている。

また、車の事故は追突、衝突、接触とさまざまだ。実験室の限られたモデル通りにいかないのが普通でないか、とも指摘している。おっしゃるとおりだ。

中村教授は投稿文の最後で「例えば、ヘルメットをかぶっていても、時速20キロでコンクリート壁に衝突すると半身不随になるかもしれないという私たちの理論的証明は暴走するオートバイ乗用者に対する強い警鐘になるのでなかろうか」と締めくくっている。

これに対する野上さんの反論を読んで、笑ってしまった。

「オートバイ乗用者たちは時速20キロ以下だから、あるいはヘルメットをしているから、コンクリート壁に激突しても大丈夫だと思って乗っているわけではないでしょう。20キロ以上のスピードでヘルメットを着用しないでコンクリート壁にぶつかると危ないですよということを知るために何もサルの衝突実験をして確認しないでも現実の生活の経験から当然判断できることです」

そして野上さんは「一般に研究者たちは日常的な体験や人類の長年の経験を信用しないで、何でも動物という実験材料を使って数学的に統計と数値を出さなければ科学でないと信じ込んでいます。実験室で得られた結果を複雑な現実の場面に安易に適用しようとすること自体を考え直す必要があります」と結論付けている。

こういうのを、昔から言い古されてきたわかりやすい言葉で、専門バカ、というのであろう。

なお、海外の保護団体からも「この種の実験データはすでに欧米にある。日本の研究者たちもそれは知っていたはずなのに」と批判が出たそうだ。