107 動物実験(39) 茂木健一郎さんが蝶の採集をやめたワケ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 107

107 動物実験(39) 茂木健一郎さんが蝶の採集をやめたワケ

 前回、養老孟司さんの虫捕り再開の弁に「?」をつけてしまった。虫たちがどうせ環境破壊でやられるなら、いまのうちに自分が…、というささいな記述に、なぜこだわったかというと、同じ昆虫採集の話ながら脳科学者、茂木健一郎さんの文章がいかにも清冽、謙虚、はかなげで対照的だったからだ。

 茂木さんが33歳のときに書いた「生きて死ぬ私」(ちくま文庫)は著者の出発点に位置する記念碑的エッセイと解説されているが、そのなかで蝶の採集とウサギを殺す話が出てくる。

 「ヘッセ、北杜夫養老孟司。さまざまな人が少年の時の昆虫採集の思い出を一つの究極の幸せのイメージとしてとらえている」と書き出し、自分もまた蝶の採集は少年時代のもっとも濃密で幸せな記憶、と述べたあと、「ある時から、私は突然、蝶を採るのをやめてしまった。蝶の胸を潰すのがいやになってしまったのである。思春期を迎えるころだった」とつづく。

 そのあとの文章は、ひと昔前の少女のように、と形容したいぐらい、たおやかだが、かいつまんで要点だけを並べよう。

 「蝶の標本をつくるとき、羽根をいためないように、すぐに蝶の胸を潰す、つまり、胸を圧迫して窒息死させるのだ。小学生の頃、網走の原生花園では、
10数匹のカバイロシジミを殺した。蝶たちはローカル線の無人駅のまわりに咲き乱れる花を訪れていたのに、私のネットにとらえられてしまった。彼らは自分のそんな運命を予想だにしていなかったろう。そして、蝶たちは私の指の間で死んでいった。
 
蝶の中枢神経など、たかが知れている。人間のような意味では何も感じないのかもしれない。だが、いつのころからか、自分の指がこの節足動物たちに早すぎる死をもたらすことを何となく気分の悪いことと感じるようになってしまった。

 私の心の中には、私の指の間で死んでいった蝶たちの生の震えの感触が残っている。」

 この文章の間に、茂木さんは中国戦国中期の思想家・荘子の有名な「胡蝶の夢」の挿話を挟んでいる。
ある日、荘子は蝶になって飛ぶ夢を見た。目が覚めて、待てよ、と考える。人間である自分が蝶になった夢をみたのか、逆に本来、自分は蝶で、いま仮に人間になった夢を見ているのでないか。どちらが本当なのか実は分からないというのだ。
 この挿話のあと、「蝶は私たちに生命というもののはかなさ、時間の経過の不思議さについて語りかけているように思われる」と茂木さんは結んでいる。

 著名な脳科学者として、茂木さんの著書は数多いが、そのなかでも本書は「もっとも深い内容」「一番好きだ」という読者が多いのもうなずける。

 次はウサギを殺すシーン。
こまやかな心象風景がクールな筆遣いで浮き上がってくる。箱の中で息をひそめるウサギをやがて屍にしてゴミ袋に入れるまでを要約する。
 
大学院で生物物理学の研究のために、ウサギを殺して骨格筋からタンパク質を精製せねばならなくなった。これまでそれを避けてきた自分の感傷的な部分を今日は振り払おう。研究者としての「通過儀礼」なのだと思うことにする。
業者から1羽のウサギが実験室に届いた。ウサギは空気穴の開いたボックスの中で息をひそめている。ボックスにはワラが敷いてある。どうせ殺すウサギなのに空気穴もワラも、妙な話だ。殺すまではウサギに優しく接しようと考える人間が自分も含めて奇妙な存在に思えた。

ボックスの中に手を入れてウサギをなでる。昔飼っていた犬が死んで火葬場に持っていく前に頭をなでて、毛を1房ハサミで切ったことを思い出す。
さて、手術の手はずは事前に教授から説明を受けている。
ウサギに麻酔薬を注入する。筋弛緩剤を打つので呼吸がとまらないように人工呼吸をおこなわねばならない。
(新鮮な筋組織を取り出すために生かして酸素の豊富な血液を体内に循環させる必要があるのだ)。
ウサギの咽喉を切開し、気管をむき出しにし、切開し、チューブを注入し、ウサギの肺に空気を送る。送りすぎると肺が破裂するので、胸を押して空気を十分に吐かせる…。

おそるおそる人工呼吸を続ける茂木さんにさまざまな思いが去来する。
(この項は次回につづく)