106 動物実験(38)人間は蠅や蚊の仲間か?それともロケットの

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 106

106 動物実験(38)人間は蠅や蚊の仲間か?それともロケットの仲間か?

養老孟司さんの発想は骨太でむしろ愚直なぐらいなのに、最後はシャープで意表を衝かれた感じが残る。じつをいうと、ボクは養老さんの書いた本はあまり読んでいない。著書はかなり求めたが、数行読んだだけで、おもしろくなく、放り出した本のほうが多い。最後まで読んだ本は4冊ぐらいだが、これは確かに目からたくさんのウロコを落としてくれた。

前回に引き続き、『死の壁』の第一章から。
養老さんは問う。
「人間は蠅や蚊の仲間か?、それともロケットの仲間か?」
ロケットの仲間と勘違いしている人がいるかもしれないが、さらにこういう人がいるかもしれないとたたみかけている。

「わかったよ。じゃ、おれは自分を大切にしよう。ところで、おれ以外の人間を殺すのは、壊すのは、どこがいけないんだ?」と開き直られたらーー?

養老さんの答えは一言だ。「あいにく自分ひとりでは生きていけないんだ」と。
他人という取り返しのつかないシステムを壊すことは、実はとりもなおさず自分も所属しているシステムの周辺を壊していることになる。
そしてこう続ける。

「他人ならば壊してもいい」と身勝手に勘違いする人は、どこかで自分が自然というシステムの一部とは別物であると考えているのだ。そこに〈人間中心主義〉の危険がひそむ。中世のカトリックにはどこか仏教みたいな土俗的なところがあった。たとえば聖フランシスが鳥と話をしたというような。

ところがルネッサンス以後、人間復興、人間中心主義になってしまう。
実体としての人間とは別に、意識だけを人間のすべてと考えるようになった。自分の思い通りになることが一番価値があることだという思想を西洋文明は押し通してきた。
でもそれはおかしな話だ。考えてごらん。自分自身ですら思うようにはいかない。たとえばどんなに賢い科学者だって、自分の臨終の日は予言できない。自分の告別式の日をだれも知らない。
自分自身どころか、女房だって子供だって思うようにいかない。だからこそロケットが思い通りに飛んだらうれしいのかもしれないけれど。」

こう書いてきて、最後のオチは仏教的ムードに落ち着く。

「『人間は殺してはいけないけれど、牛や豚ならいいっていうのか』、という人がいるかもしれない。それについての答えを仏教はさまざまな形で示してきた。むやみな殺生を戒めてきた。むやみに殺してはいけない理由は相手が牛でも豚でも同じです。

別にベジタリアンになれ、と勧めているわけではない。私自身は肉も魚も食べるし、そもそもベジタリアンだって何らかの形で生き物の犠牲の上で生活をしている。ただ、私たちの誰もがそういう罪深い存在であるという思いは持っているべきだと思うのだ。そんな風に考えていれば、『なぜ人を殺してはいけないのか』という答えはおのずと出てくるはずです。」

養老さんの言っていることをキーワード風に整理してみよう。
 :人は一匹の蠅や蚊も作れない。そのシステムの理屈さえよくわからない。
 :蠅と人、生き物の命は繋がっているという論理である。
 :蠅の構造・システムはわからないが、なぜか現に存在している。
 :人間は蠅や蚊の仲間か?、それともロケットの仲間か?
 :他人という取り返しのつかないシステムを壊すことは、実は自分も所属し  ているシステムの周辺を壊していることになる。
 :人はあいにく自分ひとりでは生きていけない存在。
 :「他人ならば壊してもいい」と勘違いする人は自分が自然というシステム
  と無縁だと考えているのだ。そこに〈人間中心主義〉の危険がひそむ。
 :むやみに殺してはいけない理由は相手が牛でも豚でも同じです。
 :動物や植物の命を食う私たちは罪深い存在であるという思いを持つべき   だ。

これらはそのまま動物実験のあり方に通じる考えであろう。
高名な解剖学者の言葉を心して噛みしめたい。
これまでも紹介してきたように、仮に動物実験を行うにしても、犠牲になる動物たちの総数を減らし、実験動物たち個々の苦痛を減らし、さらに動物実験に代わる代替法の開発、この3つが研究者たちに課せられた最小限の義務といわねばならない。同じ地球の家族、同胞の命を頂く人間の当然の務めというべきだ。

ところで、この養老さんが別のところで、ちょっと気になることを書いていた。本が手元にないので記憶だけで再現するとーーー養老さんは子供のころから昆虫採集が好きだったが、ある時期、虫を殺すのがかわいそうになり、やめた。しかし、虫の生息する山野がつぎつぎ開発され、虫が消えていく。放っておいても環境破壊で死滅する運命なら、自分が採集するほうがまだましである、とふたたび虫の標本づくりを始めたというのだ。
なんとなくわかるが、なんとなくさばさばしすぎていないのかなあ。次回は、これと対照的な茂木健一郎の話など昆虫採集に関連して書きます。