104 実験動物(36) 殺すのが勉強と思い込んでいるマニュアル

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 104

104 実験動物(36) 殺すのが勉強と思い込んでいるマニュアル人間

 ある県の科学博物館が夏休みに中学生を対象にした「ラットの生体解剖」実習を計画した。それをめぐる野上ふさ子さんと博物館側の主張・やりとりが「新・動物実験を考える」に紹介されている。
 
保護者の連絡で計画を知った野上さんは直接、博物館の担当者と話し合った。
 担当者は生体解剖を実施する理由として、
『1 生物の体の仕組みの神秘さを知り、2 生きていくことの不思議さを学び、3 生物にかかわる倫理について考え、4 科学が進歩するために何が必要かといった事柄を知る』、の4点をあげたという。

――ここまで読んできて、なんて薄っぺらなおバカさんなのだろうとため息が出た。マニュアル人間らしくもっともらしい言辞をつらねているけれど、基礎の部分がからっぽで浮いている。キミはこの実習を企画するにあたって少しは動物実験について勉強したのかい? そして自分の頭で考えたのかい?
(これまでこのブログを読んでいたら、こんなノーテンキな企画を立て、こんなアホ丸出しの回答はしなかったとおもうよ)

ボクはこののんきなマニュアル人間、そのくせ傲慢で、しかし、無知で鈍感で勉強不足の担当者さんに、本ブログでこれまで紹介してきたデータをもとに紙つぶてを投げつけたい衝動にかられた。こんな担当者さんを税金で養っている県民に同情もした。中学生のこどもをもつ保護者にはもっともっとお気の毒と思った。でも、ムキになるのはやっぱりおとなげない。

ここは野上ふさ子さんにまかせよう。この教育音痴の担当者さんに、野上さんは論理的に諄々と、つぎのように噛み砕いて教育してくれている。

「理科学教育におけるこういった理由づけはよく耳にしますが、私はつぎのように反論したいと思います。
1、 生物の体の仕組みの神秘を知るとして、例えば心臓を露出させ鼓動を見ることなどがあげられていますが、心臓の動きは聴診器を当てても知ることができます。人間の手術の映像はテレビ、さらにより詳細な映像資料もあり、これらで十分説明することができます。
2、 生きていることの不思議さを知るために殺すのは矛盾しています。担当者の方は殺すことが目的でないと繰り返し言われていましたが、徐々に死に至らしめる行為によって、生きていることを実感させることは嗜虐的で倒錯した論理です。
3、 生物にかかわる倫理とは、いまや人間の限りない欲望のために動物を犠牲にすることに歯止めをかけることでしょう。すでに他の代替の方法が多く存在する現在、単なる実習としての生体解剖は倫理に反する行為といわなければなりません。
4、 科学が進歩するためには生き物を犠牲にしてもかまわないという理論こそ、最も見直しをされなければならない価値観の1つです。人間の生活の利便さ追求に至上価値を置いてきた結果が逆に、人間性の荒廃や環境破壊を引き起こし人間自身を苦しめるものとなっている現代だからこそ、他の命を尊重しその犠牲を減らしていくというあたらしい倫理と価値観が教育においても必要となっています。

 たたみかけるように、野上さんはつづいて書く。

「人間は他の生き物を犠牲にしなくては生きられない存在だ」という主張もあります。とはいえ、それが「人間は他の生命を無制限に犠牲にしてもよいのだ」ということではないでしょう。〈すべて〉か〈無〉かではなく、〈必要であること〉と〈必要以上であること〉の間に線を引き、避けられる犠牲は避けていこうというのが現代の社会的倫理であり、それは一般社会の人々の幅広い合意によって形成されるものなのです。
 初等教育においては理科学的な知識を詰め込むよりも、生き物への興味や共感、接し方といった基本的な情操を培うことの方がはるかに重要です。

引用は以上である。野上さんの論理と柔軟に脱帽したい。

「人間は生き物を犠牲にしなくては生きられない存在だ」という何気ない言葉は、悲しいが真実である。ボクらは食べないと生きていけない。食べ物はいまのところ地球で調達するほかはない。地球で、とりあえず命のない生き物といえば、たとえば岩石や土を想像するが、ボクらにはあいにく岩石を食材に変える能力はないのだ。神様がそのようにボクらを創造してしまったのだ。

ボクらは多くの生き物を、動物を、植物を殺戮し、食い、利用している。しかたがないといえば、ないが、同じ地球の仲間として、この行為に罪の意識を持ち、できるだけ犠牲を少なくしようとする努力は人間という種として、最小限の義務、心得ではないだろうか。

この担当者さんに限らず、こうしたマニュアル人間はボクたちの周りにわんさといる。自分で経験せず、考えず、聞きかじった言葉の死骸をオウム返しに連ねて正論を吐いたつもりになっている人種。担当者さんよ、命はひとつひとつ個別なのだ。そのイロハのイから考えをすすめてごらん。結論はともかくそのプロセスがキミを真人間にする。

次回からは、茂木健一郎養老孟司、柳澤圭子、それに上記の担当者さんと同類の仏教学者らの実習・標本・生き物観に触れます。