103 実験動物(35)安楽死論議   その4


ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 103

103 実験動物(35)安楽死論議   その4

 つぎはクリスチャンの獣医師・武部正美さんがマスコミへの投稿用に書かれたものをボクにおくってくださったのを紹介する。穏やかな表現だが、スケールの大きい、なかなかラディカルで痛快な地球家族賛歌でもある。

 「毎年、何十万頭の犬猫が葬り去られたという総理府の統計が発表される。安楽死の是非にかかわらず、動物の安楽死に携わることのできるのは法律によって獣医師だけしか許されていない。動物の味方であり、弁護士であるべき獣医師が実際には動物を殺すという仕事を余儀なくされている。このことはあまり知られていないが、この矛盾に悩む獣医師は多い。
 それはともかく、動物の安楽死あるいは殺処分が正当化されるには3つの条件が考えられる。

第一は、人間が生き延びるためのタンパク源を中心とした食料のためである。これは生命体が自然(神)から与えられた本能であり、人間以外のあらゆる生命体にも許されるものである。
聖書の創世記第一章に『魚と鳥と地に動くすべての生き物を治めよ』とある。また、『全地のおもてにある種をもつすべての草木をあなた方に与える。あなた方の食物となるであろう。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命のあるものにはすべての青草を与える』と続く。

釈迦もこの世のすべてのものに魂があるという。そしてこれらを利用し犠牲にした場合、供養という方法で許しを請い、感謝することを説いている。動物植物を問わず、この地球上の生命体はあらゆる他の生命体の犠牲の上に生存することは周知のことであり、許されざるを得ない。菜食主義者といえども同様である。

動物の安楽死、殺処分が正当化される第二のケースは、他の生命体がわれわれ人間の生命を脅かす場合である。例え、細菌、ウイルスであっても生命体である以上、むやみに抹殺することは本来許されない。しかし、人間の命が脅かされる場合は自己防衛的に許されるものと考える。ただし、人間以外の動物では自らの命が脅かされる場合、相手を必死で追い払うことはあっても、殺戮、抹殺することは極めて少ない。必ず相手に逃げるチャンスを与える。ここに、人間という動物と自然界の動物との自己防衛に対する行動の違いがある。人間以外の動物には優しさがうかがえる。

許される第三の条件は、これは人間である獣医師の思い上がりかもしれないが、目の前で苦しみもがいている動物、他の生命体がある場合である。この安楽死は本来、獣医師に課せられた治療の極限としての使命であろう。(ところが実際には悲しいかな、第一、第二の条件を満たさない安楽死・殺処分にわれわれ獣医師は加担しているのだが)。

これらの3条件は現実にはどうなっているだろうか。安楽死・殺処分される犬猫は明らかに必要不可欠な食料ではない。
では、犬は我々の生命を脅かしているだろうか。たしかに狂犬病があり、犬に襲われて命にかかわる危険がないとはいえない。しかし、これらはすべて獣医学(予防と治療)と、飼い主の責任と愛情でほとんどは解決できる。

つぎに、猫は人間の生命を脅かしているだろうか。まったく否である。また、猫は犬と違って、人間との付き合いの歴史が浅く、本能を低下させるほどの改良がされていない。猫は自分で勝手に生きていける本能が残されていることは動物学的にも証明されている。
猫は他の動物に比べて、繁殖能力が著しい。その反面病気に対する免疫をつくることには劣った動物である。なにも人間が手を下さなくても自ら自然淘汰される動物なのだ。自然あるいは神は平衡を保つように計画されているのだろう。

要するに、犬猫とも殺される条件は整っていない。人間には犬猫を殺す権利は与えられていない。
ただ単に人間の快適な生活が侵される、あるいは単なる毛嫌い、それだけで彼らの命をとりあげるというのはあまりにも軽薄で身勝手な理由ではないだろうか。犬が月を見て吠え、猫が盆栽に尿をひっかけ、恋愛の雄叫びをあげることが、さらには地球を汚染するような人間の出す数々のごみの中からわずかな食料を得るためにごみを散らかすことが、人間の快適な生活を侵すとして、彼らを殺戮する理由になるのであろうか。

野生動物をはじめ、すべての動物が逆に快適な生活を人間によって侵され、あるいは絶滅の危機におかれている。動物から見れば、人間の行為は本末転倒と言わざるを得ないのではないだろうか。
人間の勝手に対して百歩譲るとして、せめて犬猫の命を奪うことなく共存の方法を考え、実施するのが万物の霊長と自負する人間の義務ではないか。動物を殺すという自然破壊の中で我々人間はそれを最小限に食い止める努力が必要である。

現在なしうる一番の方法は、彼らに不妊という人間勝手な犠牲に敢えて甘んじ許してもらう以外にないだろう。近い将来、不妊手術以外のもっと軽い犠牲で彼らとの共存がはかれる時代がくるとおもうが。

現時点では不妊手術が人間と犬猫、両者の幸せにつながるものと考える。そのためであれば、われわれ獣医師もいかなるボランティアも辞さない覚悟だ。犬猫問題は地球環境を守る身近なテーマでもある。」
 
犬と猫の違いはなるほどと納得した。
また、動物は相手に逃げるチャンスを与える優しさをもつ、というくだりに、広島や長崎に投下された原爆をまず連想した。つぎに地雷をはじめ、体内で分裂して苦痛を与えるナントカ爆弾などつぎつぎに開発している人間の底知れぬ悪魔ぶりをおもった。そして、核武装をといきまいているニッポンの勇ましくも滑稽な政治家のアホ面が何人分か浮かんだ。

なお、この文章を転載する許しを得るため、武部先生に直接お電話した。先生は快諾してくださったが、そのとき、あの著名な高齢で現役の医学者、宗教者、著述家で知られる日野原重明先生の甥御さんとわかった。
(この項は終わり)