101 動物実験(33)安楽死論議   その2

       ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 101

101 動物実験(33)安楽死論議   その2 

週刊誌のタイトルは「議論沸騰  イヌ・ネコペットの安楽死は許されるか」で、冒頭・前半部分は次のような記事になっていた。

「安らかな死を願う人に、死期を引き延ばす医療措置は必要じゃないとする安楽死尊厳死をめぐる論議が活発になっているが、最近は、人だけでなくペットに関しても安楽死論争が起きている。人の身勝手で殺されるイヌやネコの身にもなってみろ、ということだろう。だが、それこそ真の愛情表現という声もあがっているのだ。

外国人労働者が一人暮らしの孤独を癒そうとして飼っていたイヌやネコを、帰国するとき泣く泣く安楽死させている、という記事が新聞に載った。筆者は、「決して豊かでないはずの外国人労働者が、ポケットマネーをはたいてペットを安楽死させていった、けじめのつけかたに感心する」と結んだ。ところが、この記事について、読者の反響は大きく、投書が論殺到した。


 『怒りを抑えきれず初めてお便りします』と書き出した女性は、次のような意見を送ってきた。
 『動物を安楽死させる事がなぜ〈けじめ〉なのか。そもそも健康な動物を殺してしまうのに、安楽死という言葉自体おかしい。
さらにその行為に〈感心する〉とは一体どういうことなのか。
野良ネコの処遇に筆者自身悩んでいるのでペットを野良にするぐらいなら、殺してくれたほうが人に迷惑をかけないということだろうか。

何と人間本位の考え方だろう。〈一人暮らしの孤独を癒そうと〉、ただ慰みものにして、帰国するとなったらお払い箱にするとは勝手過ぎる。ペットは99%飼い主より先に死ぬ。動物と一緒に暮らすということは、その死も含んでいるのだ。

天寿を全うするまで見届けるのが、飼い主の義務ではないか。そんな当たり前のことがわからない人に〈感心する〉だなんて、どうかしている』
 

大半がこのような内容だった。ほかに去勢・避妊手術の必要性を強調した投書もあった。」
そのうえで、安楽死論争は投書とは別に結構歴史が古く、認めるのもやむをえないという是認派も少なくないとして、日本ペットコンサルタント協会会長で動物病院院長を務める岩元照男さんの「いちがいには割り切れない。ケースバイケースだ」といったコメントが続いていた。

新聞社やボク個人宛に届いたお便りも、ほとんどが安楽死を否定するご意見だった。おもなものを要約して紹介する。

「ヘンなの。なけなしのポケットマネーで安楽死の外人さんに感心しているヘンな人。いつまでたっても人間は自分の側からしかものが見えない。地球をここまで追い詰めたのもそこなんだ。中途半端にエサをやるからとはヘンな言い方。面倒みなかったらどこかへいくとはヘンな言い方。自分の見えないところに悲しみを追いやるヘンな考え方。どんどんどこかへ行ってどこかで死んでくれればよいというのか。
私は動物に対して好きとか、嫌いとかの真顔者に腹が立つ。よけいなお世話だ。〈生きとし、生けるもの〉である。」

斜めに構えた書き方だが、「生きとし生けるもの」を願う心情は伝わってくる。ただし、人間側の一方的な不法、身勝手、残虐な行為が「生きとし生きるもの」をそのままには置かない現状をどこまでご存知なのだろうか。斜めから唱え、願うだけでは現実は変わらない。そこにボランティアの人たちの真正面からの苦闘の意味があるのだ。

つぎは身近な取り組みで、「生きとし生けるもの」のあり方を考えておられる1例。

「筆者の方、心やさしき方と思いますが、異議あり、一筆。
以前、庭に来るヤマガラを私の手の上のピーナッツをもらいに来るまでに馴らしたところ、まもなくばったり姿を見せなくなりました.人間に馴れすぎ捕えられたのかもしれないと痛く反省。以降、大雪でも降らぬ限りパンなどの撒き餌もやめ、実のなる木を植えるだけにしました。労せずして安易に餌がとれるということも良いことでないと思ったからです。

勤めをやめ、一日中家に居られるようになり、子供のころから久しく縁のなかった犬を飼い始め、昨年15年5か月で死にました。1か月、しっかりつきっきりで看取ってやり、庭に埋めました。新しく飼うように勧められますが、これから15年後にはこの犬のように十分な面倒を看てやれませんので飼うつもりはありません。

ビザの期限が切れることがわかっていながら、淋しさをまぎらわすため、犬や猫を飼うのは身勝手です。ノラにせず、安楽死させるのはせめてもの良心でしょうが、人間の都合で彼らの生き方を左右するのはかわいそうです。子どもにせがまれて一時の興味で飼い、飽きると野良犬、野良猫同然の扱いをする人が多いのも困りますが、中途半端な同情心もかえって、犬や猫、鳥などにとってはためにならないと思います。
わが家の犬は満足して死んだとおもいますが、心残りは、不妊手術をしたことです。生まれた子犬を全員幸せに育てる自信がなかったので、そうしましたが、人権ならぬ犬権をほんとうに満たしてやれたのか、神様からもらった命を私の都合でゆがめたのでないかと今でも心にひっかかっています。」

このほか、安楽死には直接触れていないが、やさしいお便りをふたつ。
「お宅で飼われている元野良猫に、新しい野良猫が接触すると、病気をうつされるのでないか、とのご心配はわかりますが、初めの野良猫を拾われた時と同じに、お宅を頼ってきたそのかわいそうな猫にも優しさを分けてあげてください。家の中に入れることが無理であれば、外に水とごはんだけでも毎日置いてあげれば、飢えはしのげるでしょう。そして冬の寒さで野良たちは多く死んでいくそうですから段ボールの中にボロ布でもいれてあげてください。世の中には不幸な動物が満ちています。その中の一匹がお宅を頼ってきたのだと思って。野良たちは自分を助けてくれそうな人を選ぶのです。」

「愛嬌のない、愚鈍そうな猫ちゃんはその後どうなったでしょうか? あの記事で飼ってくれる人が出てくるといいな、と思います。だれも引き取り手がないようなら私が、と思います。お返事をお願いします」