99 動物実験(31) 生殺権は神様だけが持っている!? 

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 99

99 動物実験(31) 生殺権は神様だけが持っている!? 

犬猫を自治体にもっていけば「安楽死」させてくれるという、とんでもない間違ったイメージ。
もらってください、と広告すれば、申し込んでくる人の大半はじつは犬猫の売買業者。
こうして引き取られた犬猫の多くが、動物実験室へ直行していく、と野上ふさ子さんは書いている。
このくだりを読みながら、うんと以前のことだが、ある小さな出来事を思い出した。

新聞のお知らせ欄を頼りに小さな民家で開かれた動物保護の集いに出かけたことがある。個人的にノラの世話をしているという中年女性がほとんどで、
10人たらずの初心者グループだ。経験談や行政への不満などありきたりな話し合いのあと、安楽死問題に移った。

増え続けるノラたちにくまなく餌をやることは不可能だ。いっそ捕獲して安楽死させたらどうだろう、と提案した年配の女性がいた。しっかりした口調で経験も豊富なようだ。居合わせた半数ほどの人は黙り込み、数人が「でも、やっぱり、殺すのはかわいそう」と歯切れ悪く反対した。

提案したおばさんはここぞとばかりにまくしたてる。
「じゃ、どうするの? ノラたちに餓え死にさせるの?虐待されたり、虎バサミで無残に殺されたり、交通事故にあったり。そのほうがよっぽどかわいそうじゃないの」

「だからノラをみんなで世話して…」
「何いってるの、ノラの繁殖率を考えてごらんなさいよ。天文学的に増えるのよ」。理路整然としている。
反対派は黙った。

「それより捕まえて、優しく抱きしめて、1匹ずつ往生を祈りながら注射で安楽死させるほうがずっとノラのため」とおばさんは止めを刺した。

 ボクもなるほど、とおばさんに内心同意した。
おばさんは「みなさんがお知り合いに呼びかけてくれたら、あとは私がお世話してもいいわ」といった。

帰り道、さきほどの反対派の数人と歩きながら、「安楽死説はなかなか合理的だとおもうのだけど」と半ば挑発ぎみに話しかけた。かわいそう、というこの人たちの気持ちはわかるが、ただそれだけではいかにも展望がない。あのおばさんに比べて、幼稚すぎる。なにかもっと言い分、主張を聞きたかった。

「ノラだって神さんがつくった命、簡単に殺すのはあかんわ」
「リクツはリクツ。実際問題、私はよう殺さんで」と口々にいった。
「でも、神様のつくった命は増え続け、あなたの目は行き届かないでしょ」とボク。

しばらくの沈黙のあと、1人が「目に届かないノラはしかたがないのよ。目の届くノラだけでも助けてやればいい。あの人みたいに、大きなリクツを言わなくてもいいのよ」
「命の問題やろ、なんでもかんでも合理的にコトが運ぶと思ったら間違いや」

それから、別の1人が、声を落として「ここだけの話だけど、私、あの人の変な噂を聞いた。安楽死させるというて、猫をもらって動物実験用に売っているらしいよ」
「へえー! やっぱり、そうか。なんか業者みたいな話っぷりだと思った。はじめから怪しいなと思ってた。そういう話、多いなあ、最近」

 話はこれだけである。
 そのおばさんが業者かどうかはまったくわからない。このミニ集会のメンバーはその後、分裂してしまったからだ。しかし、この種の話はその後いたるところで耳にする。

 保護団体のボランティアの人たちは優しくて感情があふれ純粋な人が多い。これまで何度か裏切られたことがある。そして犬や猫は人間に通じる言葉を話せない。証拠がつかめない。白黒のはっきりしないもやもやが多すぎ、猜疑心がいやがうえにもつのるのだ。

 ただ、ボクの小さな経験でいえば、安楽死は頭で考えるほど簡単でない。むかし、山道に捨てられていた猫の赤ちゃんを拾った。下半身が不自由で、内臓もいかれていて、大小便は垂れ流し。
手術を受けたあと、大きな輪っぱを首にはめられ、よたよた部屋を歩くさまはかわいそうだった。いっそ安楽死を、と思ったが、どうしても踏み切れなかった。

カレは肢体の不自由を愛嬌のよさでカバーし、深夜帰宅しても、ペッタンペッタン、全身を転がしながら、歓迎してくれる。医者通いは絶えないが、まもなく満20歳になる。
人でも動物でも、生殺権はやっぱり神様だけが持っているのだ。