97 動物実験(29) 実験犬シロのドキュメント その4 

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97 動物実験(29) 実験犬シロのドキュメント その4 

病院が所有権を放棄し、シロは晴れて自由の身となった。保護団体のメンバーの1人が引き取った。新しい飼い主はシロが自由にのびのびと暮らせるようにと田舎に引っ越した。のどかな自然の中で飼い主と散歩し、遊び、生き生きと心身のリハビリがすすんだ。実験棟にいたころと、田舎暮らし、両方の写真を見比べると、地獄から救い出されたシロの幸福ぶりがひと目でわかる。

しかし、その年のクリスマスイブの夜、なぜか鎖がはずれて、シロは国道に迷い出て車に轢かれてあっけない最後となった。手厚く葬られ、いまシロは新しい飼い主の明るい家の庭の片隅で家族の一員として眠っている。

いつも冷静で理論派の野上さんがちょっとおセンチに次のように書いている。
「元の飼い主に暴力を受け、処分してくれと動物管理事務所に持ち込まれ、そして脊髄の神経を切断されるというもっともつらい実験を受け、冷たい鉄の狭い檻の中で死にかけていたシロの、あまりに哀れな短い一生でした。

シロは2歳あまりでその生を終えました。けれどもシロが社会に投げかけた波紋は、はかりしれないものがありました。飼い主に捨てられた不幸な動物たちのことを考えるとき、そして動物実験反対の世論が広がるとき、シロは人々の記憶の中にいつでも思い起こされるだろうと思います」

もうひとつ、飼育係のおじさんのその後もあわせて報告せねばならない。
やさしいおじさんは、その優しさを病院側からとがめられて、解雇処分を言い渡された。

おじさんはがんばった。
犬を散歩させたのがどうして悪いことなのか、
犬が少しでも正常に近い状態でおらせることは、実験のデータをより正確にすることにもなるではないか、と。

病院側と交渉しているうちに、とうとう実験そのものが廃止されることになり、おじさんは結局、職場を失う結果となった。それからのおじさんの消息はわからない。しかし、おじさんは犬たちに示した自分の行為をいまもきっと後悔はしていないだろうとおもう。

さて、シロの元飼い主にそんなナイーブな気持ちがあったかどうかわからないが、動物管理事務所などへ飼い犬や猫を持ち込む人は「安楽死」を想定しているケースが多いと野上さんは書いている。

というのは、自治体は飼い主に飼えなくなった犬猫を捨てないで保健所や動物管理事務所な持ち込んでもらうように呼びかけているが、その際、まず引き取り人を探し、それが現れない場合は「安楽死」させるーーそんなイメージを流しているからだ。

飼い主にしてみれば、眠るように死んでいくのなら、と少しは良心の気休めになろうというものだ。法律で行政による犬猫の引き取りが義務付けられた自治体はその効果をねらっている。しかし、現実はそんなものでない。

実際は動物たちはひとまとめにガス室に送られ、炭酸ガスで殺害される。いや、もっと悲惨なのは若くて健康で人に馴れた犬猫ほど、なにより実験動物に適している。ひそかに研究機関に払い下げられているという事実。

お役所仕事の無神経さは言葉遣いにも現われている。本書によれば、飼い主が捨てる犬猫は役所用語で「不用犬猫」だし、地方によっては「定点収集」と称して、収集日を定め、犬猫をゴミ収集と同じ要領で回収して集めるシステムをとっている。

それでも現行の「動物の愛護及び管理に関する法律」(旧「動物の保護および管理に関する法律」)ができて、名目的には実験動物への払い下げ先や数値などがわかるようになった。それ以前の大学における実験動物の実態は野ざらしの生けるゴミだった。

「医科系の大学の近くに住む人、あるいはその側を通った人の中には,食べ物や飲み水をろくろく与えられないで、やせおとろえた体を鎖につながれ、雨をさけて軒下にうずくまっている犬や、屋外にほうり出された犬の解剖死体を見た人は何人もいるにちがいない」(田嶋嘉雄『ラボラトリーアニマル』1984年3月創刊号)
野上さんは上記を引用した後、つぎのように書いている。
「法律が制定される以前に撮影された動物実験の現場における犬たちの写真は、今でも見る人の胸を締め付けるような悲惨な光景を写し出しています。

大学の裏の建物の蔭につながれて、雨が降ればぬかるみとなっても泥海の中に放置されたまま。

血を抜かれ生きたままビニール袋に入れられて焼却炉に運ばれる。

実験者の姿を見て血尿を流す。施設が不衛生なために皮膚病や感染症がまんえんする。

術後に何の手当てもされないまま放置されて、苦しみぬいて死を待つ、などなど。

しかし、これらの写真の光景は過去の野蛮な時代の出来事だった、のではありません。動物の痛みも苦しみも思いやることのない実験研究室のあり方は、いまなお現存するということを証明したのが、『シロ』という実験犬の事件でした」
(この項おわり)