94 動物実験(26) 実験犬シロのドキュメント その1 

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94 動物実験(26) 実験犬シロのドキュメント その1 

野上ふさ子さんの「新・動物実験を考える」(三一書房)は、動物実験をめぐる内外の資料、緻密なデータと主張、役所とのやりとり、克明な数字で構成された、すぐれた文明論だ。文豪ヴィクトル・ユゴーや、ロマン・ローラン、著名な心理学者カール・ユング、音楽家リヒャルト・ワーグナーらも登場し、フランスでの動物実験反対協会結成のエピソードなどは短編小説を思わせる。ただ、テーマが深刻なのと、問題の性質上、全体に内容は硬くなる。一気にすらすらというわけにいかない。

そんななかで、一匹の子犬「シロ」の短い生涯を描いたくだりはドラマチックで異彩をはなつ。山のような言葉や科学や、理論や知識や正義よりも、身近でわかりやすく、読む者の心に強く迫ってくる。
新聞やテレビに報ぜられ、絵本にもなった。1歳未満の子犬が東京国立病院の医師たちからどんな悲惨な目にあわされ、近所の人々や動物保護団体の人たちによってどう救出されたか、その顛末を当事者でもある野上さんの著書からたどってみる。少し古いが、動物実験について有無をいわせぬ得がたいドキュメントであり、貴重な証言だ。

90年10月のある晴れた日曜日だった。
野上さんたちの動物保護団体の事務局へ一通の電話がはいった。
東京国立病院の近所の人たちからで、「どうもおかしい、この病院には、普通でない犬たちがいる」というのだ。

野上さんたちはとりあえず、病院にかけつけた。病棟から離れた一角に小さなコンクリートの建物があり、ドアが開いていた。そこは動物の実験棟らしかった。そのまえで数匹の犬たちが太陽の光を浴びている。緑の草の上を歩いている姿も見える。やがて飼育係のおじさんが出てきた。掃除をしているらしい。犬たちはおじさんに駆けつけ、しっぽを振っている。人と動物の楽しい交歓風景だ。

けれど、近づいてよく見ると犬たちの様子がおかしい。よろよろとして明らかに病気とおもわれるもの、足をひきずって歩いているもの、毛の色艶がさっぱりないもの、どの犬も、家庭で飼われている犬たちとまるで雰囲気が違うのだ。

飼育場の中をのぞくと、小さな檻がいくつも並んでおり、檻の床はスノコがない。金属の棒状になっている。掃除が楽だからだ。しかし、その分、動物は不自由で、しんどい思いをせねばならない。くつろげない。

犬は外に出ているのだから、檻のなかはみんな空っぽのはずだった。が、よくみると、ひとつだけ、檻の中に小さな白い犬が棒状の床に足をはみ出して居心地悪そうにうずくまっている。

おじさんに「この犬はどうして外に出してやらないのですか?」と尋ねると、「これは手術を受けたばかりなんだ。外に出すと仲間と一緒に走りたがるだろうが、傷があって痛むからかわいそうだろう」という返事だった。そばでみると、この犬の腰に大きな手術の傷口があり、縫い合わせた太い糸が何本も交差している。ふたつの耳のまわりに血や膿がこびりついて、おできのようになっている。

「どんな手術をしているのですか?」
「よく知らないがここは整形外科の先生が来てやっている」
「この傷は手術のあと? いつ治るのかしら?」
「治るのも、治らないのも、いろいろあるよ。でも、同じことだ、最後にはみんな処分されてしまう。保健所から連れてきた犬だからね。結局、殺されるんだ。」
「いくら犬といっても苦しいことをされたうえで殺されるなんて、なんだかかわいそう」
「医学の研究のためにはしかたないんだろうね」
「毎日ここに来て掃除をしているのですか」
「いや、日曜は休みなのだが、犬たちが気になるから。日曜は人が少ないから、今日のように天気がよいと外にだしてやるんだ。喜ぶよ」

おじさんは思いやりのある、優しい人なのだった。実験棟に入れられた犬たちが外へ出してもらい、散歩させてもらえるなんて、どこにもない。どんなに長い、苦しい実験でも、それが終わるまで檻の中だ。日の光の射さない暗くて湿った狭い檻のなかに傷だらけの体を閉じ込められたまま棒状の不自由な床で最期を迎えるのだ。
「ここの犬はそれでも、おじさんのおかげでまだ幸せですね」
「犬はなつくからかわいいよ。普段の日も散歩させてやるよ。自分もほんとうは定年なのだが、こういう仕事はだれもやりたがらないからね。それに自分が世話しなかったら、ここの犬たちはかわいそうだし」
(次回につづく)