93 動物実験(25) 飼われていた犬猫ほど実験動物に重宝する!

         ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 93

93 動物実験(25) 飼われていた犬猫ほど実験動物に重宝する!

悲惨な動物実験も、ノラをめぐるボランティア同士の内輪揉めも、口論、仲違いなどともいっさい無縁で、みなさんが一様に明るく仲良くハッピーな動物愛護の風景もある。

先日、猫を専門にした月刊新聞をとってくれ、と頼まれて購読しているが、そこに登場する猫は過保護のペットちゃんか、優しい飼い主に拾われたシンデレラのような元ノラ猫か、住民に愛され定期的なエサに恵まれているラッキーなノラ猫たちである。ときどき文学作品上の抽象的な猫もお目見えするが、むろん、食べ物に困らないし、捨てられないし、実験用に切り刻まれることもない。ハッピーな猫たちと猫好きの人たちが笑顔と優しさを交換し合っている。

別の一般新聞に「のらねこ」とか、「くるねこ」という題名の本の広告が出ている。そこには、「捨てられた猫たちの命の輝きを写真と文章でつづる感動の物語」「そりゃあ笑えます」といったキャッチフレーズが躍っている。
なにも猫と楽しくするのが悪いと目を三角にしているのでない、笑い合っていいのだ。動物好きの人はとにかく心優しい人たちに違いない。動物はすさんだ人間社会の癒しになることもわかっている。

ただ言いたいのは、ここにはボクらがふだん付き合っている飢えと寒さで生死の境をさまよったり、虐待されたり、捨てられたりして、結局は無残に旅立っていくノラたちは姿をみせない。麻酔なしで痛みの実験をされたり、脳に電極を突き刺され死ぬまで眠ることのできない実験用の猫なども存在しない。ガス室で苦悶しながら殺処分される粗大ゴミのような猫も登場しない。

ケチをつける気はないが、この世にはこんな悲惨な猫も存在することを心優しい猫好きの読者のみなさんも知っておいてくださいね。ハッピーな猫よりも悲惨な猫のほうが圧倒的に多数派であることを。

そしてボクは改めておもうのだ。動物保護のボランティアのみなさんが、しばしば内輪揉めし、仲違いするのは、恵まれた動物たちでなく、最底辺を苦悶しながらうごめいている動物たちを救おうとする切迫した、ぎりぎりの思いに駆られていることも大きな原因なのだと。ボクはこれらの新聞を読んでいてそれに気付いた。

これら明るく楽しく微笑ましい本や新聞と対照的なのが、20年来、動物実験問題と取り組んできた野上ふさ子さんの『新・動物実験を考える』(三一書房)である。本ブログ87回「科学盲信派と情緒過剰派」で紹介した『動物実験を考える』(三一新書)の改訂版で、1999年の法改正(動物の愛護及び管理に関する法律)以後の新しいデータも取り入れられている。日本の動物実験は国際的にも悪名高いが、批判的な立場から日本人としてこのように正面から取り組み、書かれた本は、ほかにボクは知らない。

本書にはハッピーな動物は1匹も登場しない。楽しい物語もない。しかし、考えさせられるデータは満載だ。ボクは柄にもなく、小さな命に繋がる宇宙の起源や時間の行方を思ってみたり、永遠に答の出ないアポリア(難問)に沈んでみたり。読み進むうち、宗教や哲学のアチーブメントテストを受けているような錯覚に立ち止まったこともある。
本書のデータを気まぐれに要約、紹介させてもらう。ときには、当てずっぽうなコメントをつけさせてもらおう。

飼い主から捨てられた犬猫は生来のノラたちよりいっそう悲惨で、うってつけの実験動物候補、と野上さんは書いている。

かわいい時期を過ぎて大きくなったから、年をとって老衰したから、病気になったから、引越し先で飼えないから、インテリアに合わなくなったからーーなどの理由で飼っている犬猫を捨てる人が多い。大型犬はかなり遠方に捨てても自宅に帰ってくるので車に乗せて高速道路に放り出すケースがままあるそうだ。画家小野絵里さんがその場面に遭遇した話は以前に書いた。

「世の中には親切な人がいて拾ってくれるだろう、拾われなくても、だれか親切な人がいてエサをくれるだろう、野生でもエサを探して生き延びていくだろう」と捨てるみなさんは思っていらっしゃるのでしょう。その証拠に山すそや川べりに放置されることが多い。ところが、と野上さんは続ける。

ノラたちはゴミ箱をあさり、病気や伝染病、飢えで死んでいく。元飼われていた犬猫は、その分、エサをみつける能力が乏しく、もろい。
そのうえ、人間に懐き、おとなしい。それは実験動物の要件の1つなのだ。実験者に怒って吠えたり咬みついたりひっかいたりするノラではなく、人間を信じ、がまんする飼い犬猫が実験用に適しているとされる。人間への信頼を逆手にとって、痛みと苦しみに満ちた実験が死ぬまで続けられるのだ。


         ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 93

93 動物実験(25) 飼われていた犬猫ほど実験動物に重宝する!

悲惨な動物実験も、ノラをめぐるボランティア同士の内輪揉めも、口論、仲違いなどともいっさい無縁で、みなさんが一様に明るく仲良くハッピーな動物愛護の風景もある。

先日、猫を専門にした月刊新聞をとってくれ、と頼まれて購読しているが、そこに登場する猫は過保護のペットちゃんか、優しい飼い主に拾われたシンデレラのような元ノラ猫か、住民に愛され定期的なエサに恵まれているラッキーなノラ猫たちである。ときどき文学作品上の抽象的な猫もお目見えするが、むろん、食べ物に困らないし、捨てられないし、実験用に切り刻まれることもない。ハッピーな猫たちと猫好きの人たちが笑顔と優しさを交換し合っている。

別の一般新聞に「のらねこ」とか、「くるねこ」という題名の本の広告が出ている。そこには、「捨てられた猫たちの命の輝きを写真と文章でつづる感動の物語」「そりゃあ笑えます」といったキャッチフレーズが躍っている。
なにも猫と楽しくするのが悪いと目を三角にしているのでない、笑い合っていいのだ。動物好きの人はとにかく心優しい人たちに違いない。動物はすさんだ人間社会の癒しになることもわかっている。

ただ言いたいのは、ここにはボクらがふだん付き合っている飢えと寒さで生死の境をさまよったり、虐待されたり、捨てられたりして、結局は無残に旅立っていくノラたちは姿をみせない。麻酔なしで痛みの実験をされたり、脳に電極を突き刺され死ぬまで眠ることのできない実験用の猫なども存在しない。ガス室で苦悶しながら殺処分される粗大ゴミのような猫も登場しない。

ケチをつける気はないが、この世にはこんな悲惨な猫も存在することを心優しい猫好きの読者のみなさんも知っておいてくださいね。ハッピーな猫よりも悲惨な猫のほうが圧倒的に多数派であることを。

そしてボクは改めておもうのだ。動物保護のボランティアのみなさんが、しばしば内輪揉めし、仲違いするのは、恵まれた動物たちでなく、最底辺を苦悶しながらうごめいている動物たちを救おうとする切迫した、ぎりぎりの思いに駆られていることも大きな原因なのだと。ボクはこれらの新聞を読んでいてそれに気付いた。

これら明るく楽しく微笑ましい本や新聞と対照的なのが、20年来、動物実験問題と取り組んできた野上ふさ子さんの『新・動物実験を考える』(三一書房)である。本ブログ87回「科学盲信派と情緒過剰派」で紹介した『動物実験を考える』(三一新書)の改訂版で、1999年の法改正(動物の愛護及び管理に関する法律)以後の新しいデータも取り入れられている。日本の動物実験は国際的にも悪名高いが、批判的な立場から日本人としてこのように正面から取り組み、書かれた本は、ほかにボクは知らない。

本書にはハッピーな動物は1匹も登場しない。楽しい物語もない。しかし、考えさせられるデータは満載だ。ボクは柄にもなく、小さな命に繋がる宇宙の起源や時間の行方を思ってみたり、永遠に答の出ないアポリア(難問)に沈んでみたり。読み進むうち、宗教や哲学のアチーブメントテストを受けているような錯覚に立ち止まったこともある。
本書のデータを気まぐれに要約、紹介させてもらう。ときには、当てずっぽうなコメントをつけさせてもらおう。

飼い主から捨てられた犬猫は生来のノラたちよりいっそう悲惨で、うってつけの実験動物候補、と野上さんは書いている。

かわいい時期を過ぎて大きくなったから、年をとって老衰したから、病気になったから、引越し先で飼えないから、インテリアに合わなくなったからーーなどの理由で飼っている犬猫を捨てる人が多い。大型犬はかなり遠方に捨てても自宅に帰ってくるので車に乗せて高速道路に放り出すケースがままあるそうだ。画家小野絵里さんがその場面に遭遇した話は以前に書いた。

「世の中には親切な人がいて拾ってくれるだろう、拾われなくても、だれか親切な人がいてエサをくれるだろう、野生でもエサを探して生き延びていくだろう」と捨てるみなさんは思っていらっしゃるのでしょう。その証拠に山すそや川べりに放置されることが多い。ところが、と野上さんは続ける。

ノラたちはゴミ箱をあさり、病気や伝染病、飢えで死んでいく。元飼われていた犬猫は、その分、エサをみつける能力が乏しく、もろい。
そのうえ、人間に懐き、おとなしい。それは実験動物の要件の1つなのだ。実験者に怒って吠えたり咬みついたりひっかいたりするノラではなく、人間を信じ、がまんする飼い犬猫が実験用に適しているとされる。人間への信頼を逆手にとって、痛みと苦しみに満ちた実験が死ぬまで続けられるのだ。