92 動物実験(24) 大学受験会場で耳にしたイヌの悲鳴と絶叫 

            ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 92

92 動物実験(24) 大学受験会場で耳にしたイヌの悲鳴と絶叫  

 なかの・まきこ(中野真樹子)さん。70回「ぼくの洋服はこれしかないの、持っていかないで!!」にちょっと顔を出させてもらった仙台の女子高校生。いまは獣医の彼女がなぜ高校時代に動物実験に目を向けたか、そして高校・大学時代の動物保護の活動ぶりの一端を、当時の記事から紹介しよう。

 「飢餓、殺戮、内戦、空爆、難民。悲惨な映像やリポートに接しても心に収まるときは結局、一枚の遠い絵になってしまっていることが多い。平和で豊かな日本に住むわたしたちは悲惨をドラマのように鑑賞し消費することはできても、そのあと行動し生産に移すことはできないのだろう。いつか、難民救済で奮闘する評論家の犬養道子さんが、日本人の想像力の欠落、と嘆くのを聞いた。
 
 人から動物へ話は移るが、仙台市に住む中野真樹子さんは5年前、東京の医大を受験した。答案を書いているとき、ただならぬ犬の悲鳴、絶叫を耳にする。試験のあと、会場の周りを探すと、動物実験をしている研究棟があった。立ち入り禁止だ。

 試験は不合格だった。浪人を覚悟していたが、それより密室の動物たちの運命が気になってしかたない。
 内外の資料を取り寄せた。縛りつけた猿の頭に前後から鉄の塊をぶつけて衝撃度をはかる、猫の脳に電極を埋める、涙が出ないウサギの目に有毒液体を注いで目がつぶれるまで化粧品のテストをするーーなどなど。

 分厚いコンクリートの中で動物たちはどんな目にあっても逃げ場がない、訴えていくところもない、ヒトの言葉も話せない。中野さんの想像がふくらんだ。

 東京の国際畜産見本市や各地の農場を見学する。
一片の土も太陽もない工場に押し込められた、例えばヒヨコたち。過密状態だと気がたって傷つけ合う。それを避けるためにヒヨコの流れ作業でくちばしを折られていく。
おびえて小さな目をつぶるヒヨコ。ときに機械は誤って舌を切り落としてしまうこともある。小さなヒヨコの大きな絶望。

 こんな見聞をイラスト入りで綴り、これまでに5冊自費出版した。途中から地元の出版社が応援してくれ、しめて6000冊近くが全国に散らばった。いまや中野さんを取り巻く個人シンパは九州から北海道まで500人に広がっている。

 この夏、実家から少し離れた農村で野生サルの保護活動に取り組んだ。でも苦心のリンゴがサルの被害にあって悩んでいる農民の姿を知り、アタマで思っているほどたやすくないこともわかった。柔らかな想像力は既成事実の鵜呑みや、ヒステリックな思い込みや、度の過ぎた被害者意識からは生まれない。ヒト、動物を問わず、相手の立場がわかる能力、といってよい。」

 別の記事からの抜書き。
「中野真樹子さんからの便りが届いた。蔵王の山々の南にある宮城県七ケ宿町の野生サル問題に取り組んでいるそうだ。200匹以上が出没し、リンゴなど農作物の被害が深刻だという。

 けれどーー以前はこうではなかった。町の奥の自然林が健在で、ドングリなどエサがじゅうぶんあった。森はサルの天国だったが、自然林が伐採され、スギの人工林に変わった。エサがなくなり、サルは危険な人里へ出るほかはなくなった。人間に追い出されたのだ。

 いや、このサルたちの受難の歴史はもっと古い。先祖は福島県側の森にいた。それがリゾート開発で追われ、県境の山を越えて宮城県側に移り住み、いままた新たな危機にさらされている。サルたちは内戦の銃撃戦や空爆に巻き込まれたウシたちと同様に、なぜ自分らがこうした運命をたどるのかよくわからないはずだ。

 そうはいっても、農民たちもまた被害者なのだ。農民とサルが敵対者として向かい合うのはいかにも悲しい、と中野さんは共存の道を模索している。

 各地のサル問題の情報を集める一方で、昨年夏、地元に廃屋を借りた。頭で考えるだけでなく、現場を肌で知ろうという試みだ。呼びかけに応じて全国から延べ40人の若者がこの基地にやってきた。

 うれしいことに農民のなかにも中野さんらの運動やサルの立場に理解を示す協力者もいる。春から中野さんらは畑を借り、具体的な農作業を通じてサルとの共存を考えていく。『ここは日本のほんの片隅にだけど、ここを治すことが地球を治すことに通じる』と信じているそうだ。アルバイトをしながら動物保護の本を書いたり、自費で活動報告<ひげとしっぽ通信>を出している。」