90 動物実験(22) 難病患者が捨てた老猫

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 90

90 動物実験(22) 難病患者が捨てた老猫   

 社説と前後して、「紙面批評」に動物実験の特集記事が取り上げられた。筆者はそのころ出雲市長だった岩国哲人さん。世界最大の投資銀行メリル・リンチの本社上席副社長から故郷の市長に転進して話題になっていた。岩国さんはその後、中央政界に出て、現在民主党議員。同党の副代表も務めた。

私の紙面批評 岩国哲人出雲市
「略。私たちが気付かぬうちに、しかも残虐な方法で加害者となっているもうひとつの例は動物実験である。五回にわたる特集記事は動物実験について考えたすぐれた企画である。頭蓋骨に電極を挿入され、常に脳に刺激が与えられ、眠ることができない猫。飼い主に捨てられ、国立大学に払い下げられて実験を待っている、ゴールデンリトリーバー。ここまで動物を犠牲にして医学をさらに発達させなければならないのか。人間がどこまで残酷になれるのか、実験されているのはわれわれではなかろうか。人間の手で幸せな犬と不幸な犬に差別されるように、政府の手で人間の差別が行われるのが叙勲制度である。略。」

岩国さんにはその経歴から問答無用の辣腕ビジネスマンというイメージが強かったが、こんなヒューマンなお人柄なのかと見直した。

「社説と紙面批評」に紹介されたことでボクも少しは動物たちのために役立ったのだ、と思うことにしよう。それを免罪符に、動物実験の暗闇から脱出だ。一件落着のはずだった。
なのに、どうもすっきりしない。若いころ、ややこしい女性と別れ話のカタがついて、深夜の繁華街をひとりで浮かれるように飲み歩いた、あんな軽い心が戻ってこないのだ。

どんより重苦しい日々が続いた。そんなある1日の出来事を新聞に書いた。

「その日はなんだか心にひっかかる1日だった。
朝。出勤のとき、子猫たちがビニール袋のごみをあさっている。『またか』と心がくもる。このあたりはよほど猫が捨てやすいのか、定期的に子猫がたむろしている。やがてカレらは一定の段取りをへて姿を消す。

まずエサをやる人が出てくる。しばらくは楽しげな幼年期が保証される。そのうち、水をかける人が登場し、いつの間にかどこかへ処分されていく。2年ほど前までは「エサをやるな」「捨てた人間が悪い、猫に罪はない」の張り紙合戦もみられた。

祝福されない生を受けたカレらの運命は決まっている。路上での凍死、餓え死に、ガス室で悶死、または脳に電極を組み込まれたり、手足を切り刻まれたりの実験動物になって、この世を去る。いま目の前でじゃれあっている子猫たちも同じようにサヨナラしていくのだろう。

昼。女性読者からのお便りが届く。高校の教員だが、難病のため、休職中という。

《ある老いた野良猫に6年間不定期にエサを与えてきた。近所からうるさく言われ、最近エサを食べにきたところをだましてつかまえ、捨ててきた。猫はすっかりやせ衰えていた。猫がいなくなってみると、これまで私が猫を育てていると思っていたが、私のほうが猫に慰められていたのだと気付いた。

ある夏、この猫から何匹かの子猫が生まれたが、飢えと猛暑でひからびて死んでいるのを目撃したこともあった。明日の命のわからない猫でも今日をやっぱり淡々と生きている。私もあまりくよくよせずに今日を生きてみることにしよう……》

 夜。大阪・鶴橋の焼き肉店で小さな酒盛りをした。こちらも上司や先輩になじまない、先方様もなじんで下さらない。従って社内でうだつのあがらない私たち「落ちこぼれの会」有志の年忘れである。1人だけ例外の先輩がいて、彼は順風満帆の道を歩むが、どういうわけか以前から私たちの仲間なのである。

酒と肉と談笑がひと区切りついたところで、座をつなごうとしたのであろう、その先輩が「俺は尊厳死協会と葬送の自由を進める会のふたつに入ったよ」といった。それから話題は葬儀と遺言のことに移った。

メンバーのある五十男は事情があってアパートで1人暮らしだ。彼の四畳半の壁には遺言の張り紙があり、「私が死んだらビートルズを流し、遺影の前で賑やかにみんなで酒を酌み交わしてください」とある。

小宴のあと、先輩を見送って、数人が梅田駅構内の立ち飲み店へ。バブルがはじけたせいだろう、超満員だ。
この世には種類の違うつらさや悲しみが満ちていて、みんなが分担し合っているんだなあ。つらくても、こうしたもろもろの悲哀や痛みに私は慣れるまい。いつも新鮮におののいていたい。来年も。さあバーボンウイスキーで乾杯。」