79 動物実験⑪ 一般の人々に通じる言葉で動物の苦痛を語れ 

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79 動物実験⑪ 一般の人々に通じる言葉で動物の苦痛を語れ 

実験動物の苦痛を初めてとりあげた第33回実験動物学会総会での、前島一淑教授の冒頭の挨拶は部外者にも好ましい印象を与えた。動物実験の必要を認めながらも動物福祉に深い関心を寄せる誠実な学者らしい苦渋がうかがわれた。

「このシンポジュウムの特色は国語の専門家、臨床獣医師、動物福祉活動家の立場からも動物の苦痛を説明してもらうことだ。それは実験動物に対する批判が生物学、医学の視点から提出されたものでなくて、一般社会から出てきたためである。われわれ研究者は今後、一般の人々に通じる言葉で動物に苦痛を与えない実験を意図していることを社会に示さなければならない」

 勇気ある第一歩だったことは間違いない。
 ボクはこの挨拶を踏まえて質問した。

――前島先生は『一般社会から出た批判には研究者も一般社会に通じる言葉で説明しなくてはならない』とおっしゃっている。とても明快でフェアな態度です。でも今回の取材を通じて痛感したのは研究者側にある『よらしむべし、知らしむべからず』の姿勢です。私たち一般社会の人間は、もの言わぬ動物たちから取材することはできないのに。

どの研究者も口を開けば『関係法律に照らし倫理性、安全性を守り…』と強調するけれど、例えばさきの実験動物学会の調査では最低限のとりきめさえ知らない責任者がけっこういましたね。

国内の大学、公的研究機関、企業に設置されている五百二十一の実験施設で実質的な管理責任者のうち、『実験動物の飼養及び保管に関する基準』という法律があるのを知っていたのは88%、内容を知っていたのは70%にすぎないという結果も出ています。責任者でさえこの有様。犠牲になる動物たちは浮かばれません。

前島教授「動物の苦痛に関するシンポジュウムを開いたのも研究者が動物福祉に関心を持とう、という狙いがあったからです。あのころは医学・生物界では動物福祉と聞いただけで反発する、動物愛護さえ理解の外、という研究者が大多数だったのです。
動物の苦痛軽減をテーマにすること自体が<非常識>な状況だったことをわかってほしい。それ以来,遅々とした歩みかもしれないが着実に研究者の意識は進んできている。」

――動物実験の事情をあまりにも密閉しすぎる気がします。オープンにできるところはもっと開放したらどうでしょう。そのほうが無用な摩擦、疑惑をまねかないとおもいます。

前島「うーん、研究者が陰で残酷なことをしているから<知らしむべからず>の姿勢をとっていると、いちがいに思い込まないでほしいですね。例えば私ども慶応大学では以前、動物保護活動家の人たちにも広く実験施設を公開したことがある。この人たちはまるで査察官のような言動を研究者に浴びせ、机の引き出しを無断であける、誤解に基づく文章を発表する、でたいへん迷惑しました。どんな職場にも一定の秩序が必要なことは言うまでもないでしょう。だから、それ以後、公開をやめたのです。お断りしている」

確かに一部の活動家は感情が高ぶり、ときにラディカルな言動に出ることはあるかもしれないとボクはおもった。

後日、野上ふさ子さん(当時、「動物実験の廃止を求める会」のリーダー)にこの話をしたことがある。野上さんは「私はその場に居合わせなかったからなんともいえない」としたうえで、「公開、と大見得をきるけれど、実際はかんじんなところはなにも見せてくれないのですよ。だから、メンバーの人たちもなにかほかにないか、と探すのだと思います。」

前島教授をボクに紹介してくれたのは野上さんだった。ふたりとも立場は違うが、動物愛にあふれ、見識もある、すぐれた人だ。このコンビが手をつなげば、もっともっと前進するだろうと期待していたが、その後、だんだん2人は疎遠になっていった。

前島「活動家の人たちはいま施設の公開を要求している。私も公開の原則には賛成だが、それは不特定多数が任意に施設に立ち入ることではない。できるだけ早く法律を整備し、一定の能力と資格を持つ<査察官>の立ち入り制度を確立することを私は望んでいる。

実験動物の福祉に関して、以前は、わが国の医学生物界のモラルはお話にならない状態だったことは確かだ。まず研究者側に道徳の啓発が必要な時代だった。すこしずつだが、進んできている。実験動物のみならず、人が占有するすべての動物について、だれが、どこまで、どれだけの責任を分かち合うかを遅まきながら真剣に検討すべきでしょうね」