74 動物実験⑥ 科学的な意味では動物に苦痛はない?!

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 74

74 動物実験⑥ 科学的な意味では動物に苦痛はない?!

日本で動物福祉の問題が公式に取り上げられたのは1985年の第33回日本実験動物学会総会が最初だ。残酷な実験への批判が世論から続発したためで、獣医師、動物福祉活動家、それに国語や麻酔の専門家、農学関係者らも出席した。(以下、肩書きは当時のもの)
鳴り物入りの総会だったらしいが、記録をひもといて、まずバカバカしくなるのは、テーマの立て方だ。

「そもそも実験動物に苦痛はあるのか?」だって。
つぎに、「いったい人間は動物の苦痛を察知できるのか?」だって。

ばかにするな。うちの犬だって、蹴れば「キャン」と鳴き、猫は耳を引っ張れば「ニャン」と逃げる。

以下にやりとりの要点を紹介するが、1部研究者らのあまりの鈍感、無神経、ピンぼけ、非情、いや想像力の欠如ぶりにはあいた口がふさがらない。これでは密室でどんなことをやっているかわかったものじゃないと思えてくる。

こんな設問を出されると動物福祉の活動をしている人たちもしゃちこばった答え方にならざるを得まい。
日本動物福祉協会の山口千津子さんは「動物はサインで苦痛を表現することができる」とつぎのように発言している。

「苦痛とは本来それを受けた人や動物における主観的なもの。人の言葉を話さない動物の苦痛を客観的に評価することはむつかしい。しかし、愛情を持った者による動物の生理学的所見や姿勢、態度、行動、表情などの詳しい観察からその苦痛を判断することは可能だと私は思う。

例えば、呼吸、脈拍が早くなる、瞳孔が開く、身体の一部をかばう独特の姿勢、うずくまる、さまざまな鳴き方など。人が言葉で表現しているのと同じような肉体的痛み、精神的苦しみが動物にも存在すると私たちは考える」

そのうえで山口さんは、狭く不備なケージに閉じ込められた実験動物のさまざまなシーンを写真で説明した。
:ケージが小さすぎてゆっくり足を伸ばして横になれない大型犬。

:床が細い金属棒のため、犬の指の間に棒が入り込み、不安定な姿勢をしいられている犬。指の間にそのうち炎症を起こすのは確実だ。

:低いケージに閉じ込められ中腰にさえなれないサル。肉体的にも精神的にも異常をきたすに違いない。

そして「人間が自分たちの利益のために、動物が望んだわけでもない苦痛を動物に与え、時にはその命を奪うのであるから、できるだけ苦痛を軽くし,苦痛を受ける動物の数を減らすことは人間の務めだ。また、苦痛で異常になっている動物を用いた実験から良質の情報が得られるはずがないので、こうした倫理的な配慮は科学的な目的にもかなっている」と結論付けている。

控えめで、しかも具体的なデータをそろえ、なかなか理を尽くした名答弁と、門外漢のボクにはおもわれる。

これを受ける立場の実験動物中央実験所の安東潔さんのコメントを読むと呆然とする。あまりのエゴと、レベルの低さにただただあんぐりするばかりだ。
総合討論でこんなことを言っている。

「(動物に苦痛があるかないかと問われれば)科学的な意味では動物に苦痛はないと答えざるを得ない。苦痛とはあくまで人の内部感覚を言語で表現したものである。擬人的な表現を使って動物の苦痛を表現することは科学研究を進めていくうえで非常に障害となる」。

動物の苦痛を言葉・表現の問題にすりかえている。苦痛はどう表現しようと苦痛でないか、人間が「苦痛」という意味の犬語を理解できないとしても、犬の苦痛の中身は察しがつくだろう。それとも研究者が犬語をマスターするまで、犬の苦痛や不自由や死を知らないと言い張るつもりだろうか。