72 動物実験④ 懺悔――犬を逆さ吊りし脳を取り出し目をくり抜き

   ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 72

72 動物実験④ 懺悔――犬を逆さ吊りし脳を取り出し目をくり抜き

女子大学のウサギの生体解剖の授業風景の投書は事実関係の裏づけをとったうえで紙面に掲載した。読者の反応は大きく、13歳から80歳まで主婦、学生、研究者、動物保護グループ、医師、獣医師らさまざまな立場の人からの投書が300通を超えた。新しい投書を紹介すると、それにまた投書が殺到するという具合だった。素材やテーマによっては改めて専門家にお話をうかがい、補強取材した。

わが国の動物実験は当時も今も、「密室の科学」である。内部資料はいっさい外部に漏れてこない。外国からも批判にさらされ、やっと法が改正されても実質の伴わない取り繕いで、肝心の骨格はまったく変わっていない。そんな陰湿な闇の密室に射しこむ一条の光が、唯一、内部告発といってよい。

しばらくの間、当時を振り返ってみよう。これらの資料、記事はいまなお、古くて新しい貴重な証言だ。

以下は、製薬会社研究所の元研究員の懺悔録である。あこがれの研究員になり希望に燃えていたが、待っていたのは無意味で悲惨な動物実験だった。生活の安定を捨てて35歳のとき退職した。いまは借金に追われながらも町の獣医師として動物を友とする日々をすごしているという。手紙には「私の体験談」という題がついていた。

「私は子どものころから犬や猫が好きで、やがて獣医大学に入学。大学では獣医病理学という臨床とはあまり関連のない学問を専攻しました。病気の本質や原因を探るという科学研究分野に興味を持ったからです。先端技術機器に囲まれて、あこがれの研究員として出発できるのだと有頂天になっていましたが、そこで私を待っていたのは研究とは名ばかりの、犬の処分でした。

私が担当した仕事は、ヒトの新薬候補品を犬に投与して、毒性を研究することでした。本来、犬好きの私は、研究用とはいっても従順で人なつっこいピーグル犬に毎日あえることにうれしさを感じていました。ヒトに使われるときとあまり変わらない毒物量を投与してなんらの苦痛なく、健康診断のごとく、尿、血液検査、レントゲン、コンピュータ断層撮影(CT)検査、心電図検査や、せいぜい麻酔下でのバイオプシー検査(吸引針を使って臓器の一部を採取して病理検査する)などをおこなって研究するものと思っていたのです。

ところが、上司から仕事の詳細を聞いて、あるいは強制的にやらされて、がく然としました。

『犬が死ぬまでの用量をみつけろ』
『研究に使った犬はすべて死んでいなくても、あえて殺して検視解剖しろ』というものだったのです。

本来、獣医病理学とは動物の異常な死の原因究明のために発達してきた学問です。

死んでもいない犬を、麻酔をかけながらも、頚動脈を切断して逆さに

つるして放血死させて文字どおり体を切り刻む、

電動ノコで頭蓋骨をあけて脳を取り出す、

目をくりぬく、

腸を取り出し、はさみですべて裂く、

心臓、肺臓、肝臓、腎臓、脾臓を取り出し、メスで切り裂くーーーなど。

真の学問の冒涜でもあるし、人以外の生命の尊厳の冒涜であると、憤怒を禁じえませんでした。

仕事とはいえ、自分の立場を思っとき獣医にあるまじき、いや心ある人にあるまじき行為ではないかと思いました。

ヒトへの安全性を見極めるために実際にはほとんどありえない大量の、致死量ほどの薬物量を一度に、あるいは何ヶ月間にもわたって動物に投与する。
最新の医療検査などで苦痛なく診断が可能であると思われるのに、あえて学問をも冒涜するような殺生検視を義務付けるなど、科学でも何でもない、人間のごう慢さに立脚した、独りよがりの満足にすぎないのでないか。
このようなことに動物を犠牲にしていいのだろうかと思ったのです。

しかし、当時私にはすでに家族があり、食べていくためには一応名の通った会社をやめるということができませんでした。十年間も働きました。

はじめの純粋な気持はだんだん薄れてきて仕事だから仕方がないという感覚になり、しまいには他の研究室での、頭に穴をあけられて電極を差し込まれたままちょろちょろ歩いている猫(薬物の脳への影響を研究している)などをみても日常的な光景とさえ感じられるようになりました。

ところがーー<さきごろ、獣医の友人を訪ね、自分の家族と同じように動物の健康を気遣っている人たち、一心に動物たちの診療に当たっている友人の姿を見て感動しました。やはり動物たちは人の友なのだ> 

そのとき、自分のこの十年の仕事は何であったのか。この十年の自分を恥じ、この十年を人生から抹消してしまいたいと思ったのでした。
そして私はやっと決心したのです。

もう若くはないし、成功することもおぼつかないのはわかっていました。また、家族から猛反対を受けましたが、会社を依願退職し、診療獣医として再出発したのです。

いまは借金に追われながらの苦しい生活ですが、毎日が充実した日を送っています。悔恨の十年を少しでも償うように微力ながら精一杯仕事をさせていただいております。

しかし、悪夢のようなこの体験は決して忘れられないでしょう。私の目の前で犠牲になった多くの実験動物たちがささやいているような気がしてならないのです。

『われわれの犠牲をいつまでもあわれまないでくれ、われわれが成仏できないから。
しかし、いつまでも忘れないでほしい。いまの君を心の奥で支えているのはわれわれであることを。そしてもうこれ以上われわれの仲間を君たちヒトの犠牲にさせないでくれ!』と」

ボクは手紙の内容を確かめるために直接、差出人にインタビューした。

「犬が死ぬまでの薬物量を見つけても、まったく人間の役には立たない。わざわざ犬を殺して検視解剖をしても何の意味もない。犬がなぜ死んだのかを突き止めるのがテーマだったのだから。密室での無意味な実験や殺戮が多すぎるのです。」と彼はゆっくりした口調でいった。