69 動物実験① 1通の投書

   ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 69

69 動物実験① 1通の投書

シリーズ=実験動物・ノラ猫・母の痴呆・気がついたら仏教の門前に佇んでいた


そのころ、新聞社に勤務していたボクは読者からの投書でウサギを生体解剖する女子大学の授業風景を知った。それがきっかけで動物実験の取材を始めたが、入り口のところで逃げ出した。気の弱いボクは小動物たちの悲惨で残酷な運命をかいまみただけで、自分の人生まで暗くなってしまうのだった。

こんな割にあわないことはやめにしよう。動物実験のテーマなど捨ててしまえ、忘れることにしよう。いまの世の中に、あんな陰惨で悲痛なことがあるはずがない、と思うことにした。悪い夢をみていたのだ。動物といえば、明るく楽しくかわいいペットちゃんだけを思い浮かべればいいのだ。

こうしていつか以前のボクに戻っていた。それがある日、今度はひょんなことから捨て猫、ノラ猫との付き合いが始まってしまった。はじめは気楽に何気なくスタートしたが、これはこれでけっこうたいへんなことがわかってきた。動物実験ほどの深刻さ、悲惨さはないが、別の悲しみと気苦労がある。出会いと別れのドラマがある。

そして過保護のペットたちに比べ、底辺を這いずるカレ・カノジョらのあまりの格差社会ぶり。人間社会のようにカレらには選挙権もないし、役所もないし、駆け込み寺もないし、生活保護もないし、マスコミも、交番所もないのだった。

そこへボクの母の痴呆がやってきた。あれこれの思い入れが、どこでどうこんがらがったのか、なにやらボクは宗教めいた雰囲気に紛れ込んでしまったようだ。

ボクたちは宇宙のどこからやってきたのだろう、何のためにここにいるのかしら、これからどこへいくのだろうね?

月夜の晩、餌をねだるノラ猫たちにも問うてみたりした。
やさしく書かれた宗教や哲学や宇宙論や生命誕生の解説書、啓蒙書、死生観の類なども手当たり次第に読み散らした。ボクらをおおう宇宙の悲哀と救済みたいなものにまで思いが飛んだ。

いまボクは新聞社をとっくに定年になり、どの動物保護団体にも属していない。ノラ猫たちとの付き合いはごくごく個人的で、ささやかなものだ。有名無名、大小を問わず、動物保護に尽くし、心身をすり減らしている人たちをボクはいっぱい知っている。ひとかどのことをいう資格はボクにはないのだ。だから、これはあくまでボクだけのこころの問題だ。

気がついたらボクは仏教の前に佇んでいた。かすかにボク自身の死のさざ波を聴きながら、ノラ猫と認知症の母と仏教を道連れに大海原をあてもなく歩いている。一通の投書で目覚めた動物実験へのこだわり、ノラ猫たちへの思い、母の介護、そして仏教の入り口にたどりつくまでの気まぐれな足取りと、小さなこころの歴史を気ままに綴ってみよう。

ボクに動物実験を教えてくれた1通の投書。

生体解剖され悲鳴をあげ失禁するウサギに爆笑する女子大生たち
無麻酔のモルモットの眼球をくり抜き、ガラス管を差し込む

窓際記者だったボクに読者からの1通の投書が回ってきた。差出人は30代の薬剤師の女性で、生きたウサギを解剖する学生時代の授業風景が淡々とつづられている。

「大学薬学部の4年間の講義でもっとも忘れられないシーン。
ウサギを仰向けにし、四肢を引き伸ばし、張り付け状にして縛る。鎮静剤も麻酔もしないまま、助手がはさみで毛を刈る。
『あ、皮を切っちゃった。どうせ死ぬんだから、まあいいか』。
指導教授がはさみでウサギの皮膚を切り裂き、筋肉をかき分け、指を突っ込んで血管をまさぐり、ひきずりだし、切断し、流血をガラス瓶で受ける。ウサギはまだ生きている。小さな悲鳴を何度かあげた。そして失禁した。

そのとき、学生たちのやったことは爆笑でした。つられて助手も教授も笑った。この間、ウサギの苦痛、生命の尊厳、無麻酔下で死ぬまで放っておく意義もひと言の説明もなかった。そのとき、私はショックでぼぅーっとなっていた。怒らなかった。抗議もしなかった。そのことがいま恥ずかしい。

それだけでありません。その後、大学院に進学し研究室に入った私の友人は無麻酔でタコ糸のようなもので体中をぐるぐる巻きにされたモルモットの眼球をえぐり取り、そこへガラス管を差し込んで血液をとる実験を見せつけられたといいます。

私はウサギの実習のリポートを提出する際、極力抑えた言葉遣いで『内部告発されることも考え、少し気をつけた方が…』と書き添えた。その後、緊急教授会が開かれ、『うるさい学生がいるので』と実習内容が急に変更されたことをあとで知りました。」

動物実験、という言葉は知っていた。医薬品その他の開発やテストで行われていることも知っていた。しかし、実験の細部や具体的な中身は知らなかったし、あまり関心もなかった。投書の具体的な光景には驚かされた。差出人の学んだ大学は関西の名門女子大だ。その教室で白昼、こんな授業がおこなわれ、死に至る生体解剖を受けているウサギが悲鳴をあげて失禁したからといって、女子学生たちが大笑いし、教授や助手もつられて笑ったという。

さらに研究室では、無麻酔のモルモットがぐるぐる巻きにされて眼球をくり抜かれ、ガラス管を差し込まれているという。

投書を読んでしばらく、ボクはぼんやりとアホみたいなことを思案していた。「小動物たちは悲鳴をあげても、絶叫しても、だれも助けにきてくれないのだな。駆け込み寺も警察も裁判所も市役所もないんだからな。でも、この正義はだれが保証し、この罪はだれが裁くのだろう。そして失われたいのちはどこへいったのだろうか」

そのころ、もっともアクティブに動物実験の問題に取り組んでいた「動物実験の廃止を求める会」の当時のリーダー、野上ふさ子さんを訪ねたのだった。