67 生老病呆死⑨旧友への長い手紙 その5

   ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  67

67 生老病呆死⑨旧友への長い手紙 その5

 最後に、40歳ちょっとで死んだボクの後輩への弔意を述べたスピーチ文を同封します。
少し長いし、関係のない部分が多いのですが、一応、全体を読まれたほうが私の意図が通じると思いますので、全文をおおくりします。20年前、ボクが四国支局長のときに新人記者として配属され、2年前、東京本社次長のときに、自転車で通勤中に倒れてそのまま旅立ったのです。早く父を失い、お母さんが女手ひとつで育てました。いまどきの若者に似ず、人柄のいいやつで、ボクは大好きでした。

ボクは東京で営まれた葬儀にもいきましたが、このスピーチは大阪本社で行われた偲ぶ会のときに話しました。お母さんが目の前におられ、多分にお母さんを意識していました。
最後部分に太字で書いてある箇所が、ボクが貴兄にいちばん注目してほしいところです。

        追悼スピーチのメモ

 私のような年寄りがこんな場違いなところへ出てきて恐縮です。そのうえ、思い出話が少し長くなりそうですが、どうかお許し願いたいと思います。

A君と私は20年前の春、四国支局で出会いました。彼は大学を卒業して始めての社会人として、ボクは支局長、初めての管理職でした。ふたりとも初めて同士の新人で、張り切りすぎてどうもトンチンカンなことが多かった。

彼は赴任してくるなり、いきなり、「支局長、ぼくの出身大学は東大です」というんです。ニコニコ笑っていたずらっぽく。どういうこっちゃ、と質しますと、赴任前、本社の新人研修で、担当者に「キミのいく四国の支局長は東大に弱いから、いったらすぐに、一発ぶちかましてやれ」といわれたというんです。ちなみにそんな無礼なことをたきつけたのは、私より後輩で、先年早死にした、本社の名物記者だったMという男です。

赴任初日、彼は先輩たちに尻をたたかれ引きずりまわされ、やっと夜になって支局で泊まることになったのですが、布団はまだ荷造りしたまま支局の片隅に放ったらかしです。当時、私は嫁さんと別居していたものですから、なにもしていなかったんです。布団だけでも取り出そうということで2人で荷造りをほどきにかかったんですが、洗濯し丁寧にたたんだ衣類がいっぱいでてきました。お父さんが早く他界され、お母さんが手塩にかけて育てられたと聞いていましたが、ほんとうにそのお母さんの指紋が刻まれたような愛情がぷんぷん漂う荷造りぶりです。それからふたりでビールを飲みに出ました。

「やさしいお母さんやな」というと、彼は「だめな母親でしてね」と苦笑しながら、短くこんなエピソードを話してくれました。
 「自分の母は大学受験のときも、入社試験のときも、合格発表の日は、怖くて朝からふとんをかぶってぶるぶる震えるようにしている、発表を聞いてやっと布団から出て来るんですよ」と。彼が、お母さんについて語ったのは後にも先にもこれだけです。

東京で営まれた葬式のとき、お母さんはご挨拶で、息子は寡黙で私には何も話さなかった、といわれましたが、あのときのAのうれしそうな、やさしい、幸福そうな笑顔を忘れることはできません。

そのころ私は優秀な弟分にはたくさん恵まれていました。しかし、年齢があまり開いていないので、顎でつかうというわけにはいきません。俺もいよいよ出世コースに乗って管理職になったんだ、そろそろ顎でこきつかえる子分が必要であろう、と思っていましたので、ちょうどいい、こいつを子分第一号にしてやれ、と私は勝手に決めました。

皆さんご存知のように、Aは素直で伸びやかで明るくだれからも好かれる人柄です。私もはじめはそれで満足していました。こせこせ卑しくならなくてもいい、人柄が第一だ、わが社はそういうことを認めてくれる会社だ、まっすぐまじめに仕事に励んでおれば、前途は洋々だ、そんなことを説教した記憶があります。

ところが、一ヶ月たち、二ヶ月たち、だんだん不安になってきました。彼は人柄同様に、書く記事も、いつまでたっても相手の言うことを一本調子に、素直にまじめに明るく書き写すだけなんですね。ある夜、酒の肴にしながら彼を叱り説教を垂れました。人柄がいいばかりじゃだめじゃないか、何事にももっと疑え、もっと意地悪になれ、優秀な記者ほど意地悪な発想ができる、人間そんなに単純じゃないのだ!

叱りながら、そのうち、不安になってきます。自分のいっていることはほんとうに正しいのか、もし、天国のお父さんがここに同席していたら、俺の言葉にうなずかれるだろうか。別にいい記者にならなくてもいいです、私の息子を意地悪な人間にしないでください、とおっしゃるのでないかしら。千葉で1人暮らしをしながら息子を案じていらっしゃるお母さんはどう言われるだろうかーー、などとあれこれ、ご両親の心境を想像して、自問自答を繰り返したものです。(次回につづく)