63 生老病呆死⑤旧友への長い手紙 その1

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  63

63 生老病呆死⑤旧友への長い手紙 その1

気が向いたら賀状を出し合う、そんな仲の旧友Sから寒中見舞いのはがきが届いた。「37歳の長男を肺がんで亡くしまして、年始のご挨拶を失礼しました」とあり、時候の決まり文句を合わせても5行の簡潔な文面だ。添え書きが1行、「まだまだ山あり、谷ありです」と、彼の特徴のあるぎこちない文字が連なっている。飾り気のない、さばさばした書きっぷりにかえって彼の衝撃の深さが伝わってくる。

彼とボクは同じ年に生まれ、同じ大学を同じ年に卒業し、同じ会社に入った。粗野で好き嫌いの激しいボクとは対照的に、東京山の手の良家の育ちらしく温厚でだれともソツのない人間関係を保った。そんな円満な人柄にどこか違和感めいたものを抱いたのだろうか、喧嘩好きのボクが彼とは一度も喧嘩せず、だからといって2人きりで酒を飲んだことも、上司・同僚の陰口悪口を肴に楽しむこともなかった。

定年後はお互い,相手を忘れたような歳月を過ごしていた。それがこの寒中見舞いのはがきに心を激しく動かされた。いわゆる上流社会のお嬢さんを妻にし、1男1女に恵まれ、内実はともかく見た目にはこの上ない老後に入っていたはずの彼に突然降ってわいた災難・不運。彼の悲しみがひしひしと身につまされる。

それに伴って彼への懐かしさと親近感が会社時代、学生時代に遡って追認されてくるのだ。なぜなのだろう、いまさらーー。自分の脳内現象の変化、推移に妙にこだわって、2,3日考え込んだりした。

年をとって気弱になった老人性感傷症候群なのだろうか。それとも現役時代は恥ずかしながら出世争いを意識していた、あるいは育ちのいい者への本能的な反発があった、それが彼への自然な感情の働きを邪魔していたのだろうか、などなど。

生まれてこの方、それぞれの境遇や運命や経験に応じてつぎつぎ付着し積み重なってきためいめいの「社会的な垢(アカ)」が、これからはどんどん剥ぎ取られていく順番だ。生まれたときの無垢なゼロにもどっていく、いま、2人はその途上にあるのだな。そんな思いのあげく、ふいに、なぜいままでもっと彼に打ち解けようとしなかったのか、1度も胸襟を開いて話し合おうとしなかった自分の態度を後悔したりした。自分でもおかしいほど、優しい気持ちに沈んでいくのだった。

2年前にもボクは親しい後輩の急死に出会っている。女手1つでカレを育てた老母を前に、追悼スピーチでボクは何度も絶句した。どう思案しても慰めの言葉がみつからなかった。今回もそうだ。

ほんとうに死者は残された生者の前に2度と姿を現さないのだろうか。どんなに愛していても、どんなに願っても、どんなに希望しても、死者は永遠に戻ってこないのだろうか。

いや、そんなことはない、というささやきが、どこからかとぎれとぎれに聞こえてくる。それらを綴ってボクはSに長い手紙を書いた。何回かにわけて転載しよう。

S君
寒中お見舞いのおはがきをいただいて以来、少しでも貴兄の心が緩むようなお手紙をと思い続けていますが、いまだにいい考えが浮かびません。何を言っても何を書いても、慰めにはならず、かえって心を乱したり、反発を買うだけのような気がしてきます。でも、何かいまのうちにきちんとお伝えしておきたい気持ちも一方であります。

親が子どもを失うということはこの世でもっともつらいことだろうと、子どものいない私も想像がつきます。私の心にいま、去来する思念の断片をまとまりのつかないまま、とにかく書き連ねてみます。おそらく的外れの文章になるかとおもいますが、どうか友情に免じてお許しください。(次回につづく)