62 長嶺ヤス子さんの経文(後)

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  62

62 長嶺ヤス子さんの経文(後)  

 前回に続いて長嶺ヤス子さんの経文を読もう。
 
ただ、ひたすらに今をみつめて

 一日も早く死にたいのです。
 お日さまがいっぱいの青空の喜び,嵐をまじえた夜半の雨の、恐ろしいほどの懐かしさ、どこを向いても、生きる幸せを一杯感じる中で、私は一日も早く死にたいと思っています。略。

生きることが死ぬことなのだと強く感じて、一秒一秒を大切に、心豊かに生きたいと思うのです。過去を振り返らず、未来を夢見ることなく、唯ひたすらに今を見つめて,この一瞬を充分に永く生きて死のうと決めました。

一瞬は永遠だとも知りました。わたしは生きているのに死んでいます。生と死は紙一重ともいいますが、生と死は同時に存在するものです。私はその紙一重の、一重の中に息づいています。私は永遠の生命を持つことができました。それは私が仏様を知ったからです。略。

仏様は何でも知っていて守ってくれる、私も生物もみんな仏の分身

 今、私は仏様を知り、わたしの心の中に仏様が住んでいられること、私の周りの生物そして私自身も仏様の分身だとわかって、豊かな毎日を送っています。その日暮らしの綱渡りの生活、うそをついたり、心ならずも人をだましたり、知りながら悪いことをしてしまう,端から見れば苦労の多い毎日も、仏様の大きな暖かさの中で守られているのです。

何をしても仏様が全部ご存知で、仏様は悪いようにはなさらないという安心感、今の私は仏様に甘えすぎるほど甘えています。昔父に甘えたようにわがまま娘になりすぎてはいけないとおもうほど幸せな毎日です。略。

女としても充分に生きたつもりです。スペインやアメリカ、アフリカの男性と同棲して、別れて、結局十年前から日本に女一人で住みつくことになりました。略。(長嶺経文はおわり)


ボクの注釈

末尾が尻切れトンボのように終わっているのは、長嶺さんの文章の順番をボクが無断で前半と後半を入れ替えたからである。このブログの趣旨からいって、この方がノラとの出会いを通じて仏様に接近していく長嶺さんの心の軌跡がたどりやすいのでないかと手前勝手な都合を優先させた。長嶺さん、お許しくださいね。

ネットによると、長嶺さんはノラ猫の世話で時間がとられ「猫が足をひっぱる」とマスコミで批判されている、しかし、長嶺さんは「猫のおかげで、改めていのちをみつめる機会を得た」といっているそうだ。国際的に著名な舞踊家だけに、マスコミも気遣っているのだろう。しかし、長嶺さんが抱きしめたノラ猫たちの生と死が、長嶺さんの踊りをさらに深遠なものにしているのは間違いないとボクは思う。

長嶺経文には仏教の重要な教えがずらりと並び、示唆するところが多々ある。
例えば、あの世がほんとうにあるのかないのか、だれしも興味のあるところだが、お釈迦さんは弟子の問いに「無記」(回答しない、説明しない、捨て置く)だった。なおも、しつこく問い続ける弟子に、こんなたとえ話をしたと仏典は伝えている。

 ある若者が毒矢に射られた。連れの者が医者を呼ぼうとすると、その若者は「その前にこの毒矢はどこから飛んできたのか、どんな名前の、どんな素性の人間が射たのか、矢の材質、毒の材料なども突き止めて欲しい。それがはっきりするまで矢は抜かないでくれ」と言い張り、そのうち毒が回って死んでしまった。

 あの世がどんなだろうと聞くのはこの若者の疑問と同じだ。まず、毒矢を抜くことが先決でないか。あの世のことをいろいろ想像、詮索するよりも、この世のいまを精一杯、じゅうぶんに生き抜くことが大事なのだよ。

 そして、ボクが意表をつかれるのは、「女としても充分に生きたつもりです。スペインやアメリカ、アフリカの男性と同棲して、別れて」のくだりである。

 しかめっ面をした仏教は退屈だが、奔放の果ての静謐と悲哀はすてきだ、静謐の果ての奔放と悲哀も好きだ。いや、それが仏教の本質の1つかもしれない。50人の僧侶の声明をバックにニューヨークを席巻した長嶺さんの舞踊よ、万歳。永遠なれ。

 長嶺さんの文章を読んで手紙を書きたくなった。しかし面識もないし、住所も知らない。そのとき、古くからの友人を思い出した。彼は国際的な賞も受けた優れたジャーナリストだが、むかし酒の席で、「長嶺ヤス子はオレの親戚だ」といったことがある。彼に住所を聞いて長嶺さんにおたよりを出した。お忙しいにもかかわらず、丁寧なお返事が届き、さらにこの正月にはお電話をいただき、3月の東京公演に招待してくださるという。これもノラたちがとりもってくれた何かの縁だろうと感謝している。