61 長嶺ヤス子さんの経文(前)

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  61

61 長嶺ヤス子さんの経文(前)  

舞踊家長嶺ヤス子さんの『たくさんの死を抱きしめて』という文章を読んだ。「私にとっての仏教」(法蔵館)に収められている小文だが、ノラ猫を主人公にした仏典の趣があり、深く心を動かされた。わずかなノラの餌やりで疲弊しているボクに、お前さんはたったそれぽっちのことで、えらそうな口をたたくんじゃないよ、と高いところからお説教された気持ちになった。

 昭和55年2月、長嶺さんは原宿を車で走っていて、グリーンベルトから飛び出したブチ猫を轢いてしまった。歩道の街路樹の下に運んで、そのまま逃げようと思った。もう夜だし、付近にお医者はいないし、だれも事故をみていないし。立ち去りかけて、ふと振り返ると、ブチは苦しい息をしながら自分を見つめている。無心な目が美しい。
 
やっぱり、長嶺さんはブチを獣医に連れて行く。5,6時間の努力もむなしくブチは息を引き取る。それまで好きでなく、縁がなく、むしろ怖かったノラ猫だが、罪滅ぼしのつもりで拾って飼うようになった。

 以下、長嶺経文を原文のまま転載する。スペースの関係で相当部分を省略し、また、わかりやすいように小見出しをボクがつけました。


目についたノラはすべて拾って飼う

 いままで見えなかった捨て猫が気になって、ネコはどんどん増えていきました。最初の八匹までは、困った困ったと思いながら、悩みながら拾いました。でも八匹を超えたとき、決心しました。目に付いたものはすべて縁だとおもって拾おうと。そしてこれは仏様が、わたしに与えてくださっているのだと考えたのです。私が拾わなければ死んでしまう猫や犬たち。拾うか拾うまいか悩み、または拾わずに後悔するより、すべてを運命と割り切って拾った方が仏様はきっと悪いようになさらないと思いました。

餌代に困って私もノラも心中せねばならないときがくる!?

 女一人の生活は経済的にもなかなか大変です。いまは猫が八十匹、犬が四匹です(注・最近のネット情報をみると捨て猫約160匹、捨て犬20匹)。世間の人は私を、非常識とかわがままだとか、好きで飼っていると思っている人が多いのですが、私は決して好きでしているのとは違います。仏様が与えてくださった修行であり、幸せとして、私の宗教として受け止めているのです。いつか食べられなくなって、みんなで心中しなくてはならないときが来るかもしれないのですが、それでも、そんなときでも幸せと思える自信がつきました。それはみんな、この子どもたちが身をもって教えてくれました。それぞれ不幸だった子どもたちは、どんなときでもけなげに必死に生きています。素直に自分の命を見つめています。

ノラの死を悲しむより幸せなものとして喜ぶ

捨てられたときは病気だった子が多いせいか、手をかけても早く死んでしまう子たち。私はこの子たちの生と死をみつめて、自分自身の命をはじめて振り返ったような気がします。どんなときでも力強く生命を守っていこうと思ったのです。
 多く飼えば飼うほど、悲しい目に会います。死が避けられないものなら、死を悲しむより、死を幸せなものとして喜ばなくては、やってこれませんでした。

たくさんの死を抱きしめて知った生きる意味・ノラは私の仏様

次から次へと襲ってくる死に、倒れそうになることもありました。死んでしまった可愛い子を抱きしめて一日も早く私も死にたいと思いました。今まで死んだ全部の子たちが待っていてくれると。でもそのためにも一日でも永く、今生きている子たちのためにがんばろうと思えてくるのです。私自身の命をみせてくれる子どもたち。これは全部私にとって仏様なのです。私はたくさんの死を抱きしめたために、生きることを知りました。どんなに苦しくても時は過ぎていきます。いつかすばらしい世界にたどりつけると私は信じています。子どものころから好きだったお経で曼荼羅を踊ったときも、私は仏様の意志を感じていました。略。

苦しくても時は過ぎる いま死を抜きにした極楽浄土に住む私

 不可能と思えることが可能になったり、どんなどん底でも、どこかで誰かが必ず助けてくれたり、どんなに子どもがふえても私は生きて行けるというわけの分からない自信は、みんな仏様が下さったものなのです。子どものころ、夢見た、死を抜きにした極楽浄土は、たしかにあったのです。
 私が今そこに生きています。死なずに極楽浄土に住める幸せは、仏様を知ったため。この幸せを、ぜひ一人でも多くの人に知っていただいて、仏様に感謝の気持をお伝えできたらと願わずにはおれません。
 仏様、あたなといつまでも一緒にいられるよう、自分を大切に生きていきます。
(次回後半につづく)