58 日陰者の脱兎も氷雨の夜に逝く 

      ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  58

58 日陰者の脱兎も氷雨の夜に逝く 

 不妊手術をした7匹のうち、1匹だけ正体不明の猫がいた。妻はそれが「脱兎」だという。溝から溝を絶叫しながら脱兎のようにボクらについて回り、もっぱらチビの餌を横取りしようとする。路上でおっとり構えている旦那タイプの黄色とは対照的に地下の闇に潜み姿を見せない。ボクは好きになれなかったが、妻はこちらの都合で不妊手術という痛い目に合わせたのだから、と餌をやっていた。

脱兎の餌場は小学校の裏門前の溝だ。しかし、黄色は脱兎が嫌いらしく、溝の上で通せんぼうをするように座り込む。自分の餌を食べるより、脱兎に食べさせないほうが大事、みたいな感じでおかしかった。脱兎はいつも単独で溝にいて、いかにも日陰者だった。

チビ、黄色がいなくなり、裏門は脱兎の世界になった。それまで悲鳴のような絶叫で餌を催促していたのが、なんだか甘えた声になった。いままでだれかのおこぼれで餌にありついていたのが、いまは自分だけのために餌をくれている、地上にそんな人が存在する、それがうれしいのよ、と妻は真剣な顔をしていった。声だけでなく、裏門前の路上に全身を見せるようになった。黒毛の案外しっかりした風姿だが、妻は「不妊手術したころにくらべてずいぶん小さくなった」といった。

そのうち、餌を求めて一匹の若い猫が寄ってきた。以前、チビと遊んでいるのを見たことがある。チビ友と名づけていたが、欠席が多く、ほかにスポンサーがいる感じだ。脱兎とチビ友は共存し、しばらく平穏な日々が過ぎた。

三毛の死からほぼ1年、また師走が巡ってきた。ノラたちには命取りになる氷雨が小学校裏門にも降り注いだ。脱兎の餌の要求は、悲鳴のような絶叫から甘えた声へ、さらに、しわがれ声へ、三度目の声変わりをしていた。そして師走に入って、晩年の三毛のような「クシュン」が始まった。妻を見ると喜んで、体をコマのようにクルクル回転させたりした。詳しい人に聞くと、それはボケ症状だという。脱兎の死に時が近付いている。

氷雨がやんだ夜でかけた。裏門に脱兎がいない。帰り道、橋のたもとでしわがれ声が聞こえた。妻がそばの溝を覗くと、脱兎だった。けれど路上にあがってこない。鼻先に餌を置いたが、「衰弱して人目に体を晒すのが怖いのよ」と妻はいった。

翌日も定位置に脱兎はいない。昨夜の橋のたもとにもいったがいない。今夜こそ終わりか、と歩き出すと、どこかであの聞きなれたしわがれ声がする。妻とまわりを探した。民家の前庭の車の下で脱兎はしゃがんでいた。エンジンのぬくもりに温まっていたのだろう。餌をやってもそこでは落ち着かないのか、食べずに出てきた。よろよろしながら前の溝に降りたところへ餌を入れた。晩年の三毛と同じ体つきだ。

次の夜。裏門にも、橋の付近にも、車の下にも脱兎はいない。
もう一度、裏門に引き返した。やっぱりいない。そのとき橋と反対側の路上にのろのろこちらに向ってくる脱兎をみつけた。弱々しいしわがれ声とクシュンの連発。妻が駆け出していき、道端の溝に餌を置いてやった。

今度こそ終わりだろうと思ったのに、翌日も脱兎はいつもの溝の奥で鳴いた。ただ、声が少し違う気がした。それに路上にあがってこない。「幼児帰りしたのかしら」と妻はいった。そんな日が1週間ほど続いたころ、裏門に向うボクらを追いかけるようにいつもの甘えた声を出して脱兎が溝伝いを走った。脱兎にしては敏捷すぎる。街灯の薄明かりに一瞬浮いた体躯は毛並みの光る子猫に見えた。

妻は否定した。脱兎と子猫がそんなにスムーズに餌場をバトンタッチできるはずがないという。

だが、翌日、街灯の下で妻もそれが別の子猫であることをついに確認した。たぶん、衰弱した脱兎は餌を食べなかったり、食べ残したりしていたのだろう。それを子猫が失敬していたというわけだ。

氷雨の日が続いている。脱兎はいつごろこの世を店じまいしたのだろう? ボクの記憶に残る脱兎はドタドタ駆け回る足音と鳴き声だけだ。顔も知らない。餌を催促し、闇の中を走るだけで一生を終えてしまった。ちょっと哀れだが、晩年に束の間でも、自分だけのために食べ物を準備してくれる人間が存在したことを知ってくれたはずだ。それはいま天空を旅する脱兎の心和む思い出となっているに違いない。