57 落ちぶれた大旦那・黄色の最期

      ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  57

57 落ちぶれた大旦那・黄色の最期

 三毛がいなくなってボクらの最古の友達はチビだけになった。知り合ったころ、まだ幼児で、おとなのノラに脅されて餌場に近づけない。餌を前にした喜びを全身で表し、大きな輪を描いて周辺をぐるぐる回るのだけど、餌にはありつけないのだった。だからチビにはいつも別の場所で与えていた。ロシアンブルーの毛並みが美しく、いまや中年奥様の色気を漂わす年頃だ。
 
「三毛とチビの身体は百%わが家の食料ね」と妻はつねづねうれしそうにいっていた。三毛がいなくなったいま、チビを飼ってやりたい、と妻は願っている。友人のY夫人はネコ嫌いの主人に「私が死んでも飼い猫を絶対にノラにしないで。むしろ保健所で処分するように」と遺言を書いているという。長年餌やりをしてノラ猫の最期の悲惨さをよくわかっているからだ。

 わが家には元ノラ猫と捨て猫が2匹いる。これ以上増やすのは面倒だったが、チビに三毛のような運命をたどらせたくなかった。それにチビを飼うことで、ボクもストレスの大きい餌やりから手を引きたかった。

 今回も捕獲作戦はエミさんにお願いした。桜花が川面に舞うおぼろ月の夜、チビはボクに騙され、橋のたもとのワナに簡単にはいった。しかし前回のような罪の意識はなかった。チビはもう2度とノラには戻らないのだから、家族の一員になるのだから。

 筋書き通りならこれで一件落着のはずだった。
 だがーー。
 チビにはかれこれ4年ほど前から仲良しのおじさん猫がついていた。臆病者のチビがふしぎにこの大きなよく肥えた黄色い猫(通称黄色)には気を許し、いつも一緒だった。はじめは黄色がチビの餌を横取りに来たので、陽動作戦の積もりでこいつにも少し離れた場所で与えていた。ところが、あるとき2匹が同じ餌を食っているのを目撃した。以来、小学校の裏門の内側に並べて餌を置くようになった。そこなら犬連れの散歩がきても安心して食えると思ったからだ。

 黄色は図体も態度も大きく鈍重で気まぐれだった。人が通っても道端で悠然と身繕いをしながら、ボクたちを待っていた。自分の餌を食わず、隣のチビの餌を食いにいくので、抱いて自席に戻したりした。餌場の裏門にきてもボクにじゃれ付いてなかなか内に入ろうとしない。顔を門の柵の間に入れて、胴体をつかんでこじ入れるように押し込んだ。そんなときも、黄色はいっこう抵抗しない。されるがままだ。
 チビは毎日やってきたが、黄色は一週間ほど姿を見せないことも珍しくない。死んだのかと思っていたら、たった1匹で雨に濡れて待っていたりする。けったいな猫だ。

 相棒のチビがいなくなってさみしいだろうなと、やっぱり餌やりをつづけたのだった。
 ある夜、首輪をはめていた。「なーんだ、こいつは飼い猫か」。人間を怖がらないこと、欠席が多い理由などもわかったと思った。飼い主はたとえば独身で出張が多い。そんなときにボクの餌を食いにくるのだ。
妻は別のことを想像した。小学校で児童たちに集団飼育されている。首輪は子どもたちがおもしろがってつけたのだと。

 それから程なく、首輪はとれたが、黄色の左顔面に何か風車のようなものが刺さっている。はじめは糸のようなものがもつれているのかと思った。糸なら翌日はほぐれているはずなのにやっぱりついている。不気味だったが、確かめるのが怖い。しばらく風車はついていた。黄色は以前と変わらぬ足取りだから何でもないのだと思うことにした。どんな状況になっても黄色は物怖じしない、落魄した大旦那というイメージがあった。

 そのころ、寝屋川市で背中に矢を突き刺されたまま歩いているノラ猫が保護されたと新聞に出た。妻はあの風車もそんな虐待行為でないのかしら、といいだした。しかし、それならもうこの付近から逃げ去っているだろう、とボクはいった。そう思いたかった。

 激しい雨がやんだ夜、餌やりにでかけた。裏門手前の淡い街灯の下で黄色は待っていて、ボクらがいくと、喜んで電柱に頭をこすり、腰をあげて喜んだ。そのとき、風車はなかったが、左目が変形していた。どきっとした。顔に金属製の何かを押し込まれていたのでないか。妻も同じような不審を抱いた。「それにずいぶんスリムになっている」と妻はいった。

 一週間ほど欠席がちだったが、黄色は断続的に姿を見せた。

 その日、黄色は見当たらなかった。諦めて帰途につきかけて、虫が知らせたのか振り返ると、少し離れた道路の中央で黄色が座っている。歩いていくと、ゆっくりこちらに向ってきた。裏門まで来て、そこでまた入ろうとしない。ボクはいつものようにお尻を摑まえて門の中に押し込み、鼻先に餌を置いた。

 帰りながら、妻は「病気かしら、老化かしら。黄色の足取りがよたよたしていたね」といった。これが黄色の姿を見た最後だった。