56 生老病呆死④老後の寿司屋

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  56

  56 生老病呆死④老後の寿司屋

 
この前の休日、地下街の寿司店へはいった。繁華街は年末年始を過ぎて閑散としている。おまけに昼食どきをとっくに過ぎた時間帯でお客はまばらだ。ひとつ席をおいて右隣は、ちょっと苦みばしった60歳前の男性。頭も悪そうでないが、くたびれたセーターに布地のバッグを持っている。常連客らしい。板前さんとのやりとりはそれなりに紳士的だ。

大企業のリストラ組か、中小企業の管理職だったが、何かの失敗で左遷またはクビ、あるいは、融通の利かない性格で人望のなさをひとりかこっている、いやいや、要するに奥さんとうまくいっていない、以上のいずれか、そんな悲哀が漂ってくる。ヨコワの刺身、ゲソの塩焼き、サザエのつぼ焼き、イカのレモン塩などをぱくぱく食いながら、2合入りの銚子を早いピッチで傾けている。
 
左隣は、さえない50過ぎ。背広姿だが、足元はズックスタイルだ。焼酎の湯割に、一個百円のイカと玉子の握りを注文し、ゆっくりゆっくり思案顔で飲んでいる。勤め先が倒産し、職探しの合間に一服というところか。
 
カウンターの向かい側にいる60代とおぼしき男女。男がビールをあおりながら、妙にしつこく話しかけている。女は小声で応じる。老いの不倫さんたちだろう。その隣は、重ねた年輪がにじみ出ている、おそらく70代末の老夫婦らしきカップル。無表情で、ひとことも言葉をかわさない。黙々と目の前の寿司をつまんでいる。

さて、ボクの隣には薄く色香の残る知り合いの女性がいる。御堂筋を歩いていて、たまたま出くわし、女性がときどきくるという店へ一緒にきたのだった。「この雰囲気いいなあ。老後になったら、ボクも昼下がりはこんな店でひとりぼっちで、チビチビ、ケチケチ、ぼうーっと焼酎を飲んで時間を過ごしたい」

40代のはじめ父が亡くなり、勤務先がおもしろくなかったとき、ボクは一切を捨てて、北海道の漁港でツルハシを振るう作業員になろうと思ったことがある。なぜ、北海道なのか。それは啄木の歌の影響だ。ボクの少年時代、事業に失敗した父は不渡り手形を苦に悶々としていたが、ストレスを発散するように晩酌のあと、きまって啄木の歌を口ずさんだ。

○函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花
(父は学生時代、函館出身の友が失恋し、2人でこの歌をうたいながら新宿を飲んで歩いたとボクに話した。)

かなしきは小樽の町よ 歌うことなき人人の 声の荒さよ
(父はボクの少年時代、母に去られたあと、家族を捨ててひとりで、ひそかに小樽でやり直そうとした形跡がある。)

さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき
(釧路の町であろうとおもわれるが、なぜか、亡き父と2人で旅した幻想にとらわれる)

当然のことながら、ボクの出奔の夢は先送りされ、かわりばえのない日常が続いた。ただ、その日が来たら必ず実行するのだぞ、とぼんやり自分に言い聞かせてもいた。

ついにその日は来ないまま、この10年ほどは、北海道の漁港に代わって老後を夢想するようになっている。老後老後、と口に出し、自分で不安をあおり、文献を読み散らし、プランを練り、まだ視界に明確には入ってこない黒い塊のような老後に備えているつもりなのだ。

隣の知り合いにもう一度、「老後はこんな店の雰囲気がいいなあ。こんなところで、毎日ひとりでぼんやり飲んでいたいなあ」と言った。女性はいたずらっぽく「もう古希でしょ。いまがその老後じゃないの?」とくすくす笑いをした。

そうか、ボクはもう老後だったのだ。
ショックというのでなく、何か意外な気がした。老後は大変、という不安でそれなりに対策し、できる範囲で武装してきた。ささいなことでいえば、定年5年前には社員手帳を使わないようにした。毎年配布され、ずいぶん愛用してきたが、定年後は支給されまい。社員手帳のない日々に早くなじんで定年のダメージを少なくしようとしたのだ。

老後をあれこれ考えているうちに、実体よりだんだんイメージが膨らみ、老いの現実と観念的な老後にズレが生じていたのだろうか。以前の「出奔」の夢のように、老後はボクの生涯で永遠に訪れないことだってあるのかもしれない。