54 「かわいいね」、と撫ぜてやりたかった

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 54

54 「かわいいね」、と撫ぜてやりたかった

松の内を過ぎるころから三毛の来ない日が多くなった。今度こそもうだめか。ある日、妻は夕食前に「三毛の餌やりにいこう」という。いつも夜8時をすぎていくが、老猫で寒さがこたえるに違いない、早めにねぐらに帰っているのでないか、というのだ。祈る気持ちで出かけたが、うれしいことに的中した。野外駐車場のそばのゴミ箱の横で三毛が身を縮めている。車の下に餌をおいた。三毛は入ってきた。食べているのかどうか、暗くて確認できないが、とにかくこれで気が済んだ。

三毛には夕食前、その他のノラには夕食後、と餌やりの時間を設定した。妻の推測が正しいのかどうかはともかく、ほぼ確実に三毛と遭遇することができた。困ったのはまたも餌を狙う邪魔者の乱入である。親子とおぼしき茶色の2匹だ。親猫はかねてチビ黒の餌を横取りしていたが、今度は子猫を引率してきた。ボクが親子を駐車場向かいのミニ緑地に誘導し餌をやる。そのすきに妻が三毛にという作戦をとった。

よぼよぼの老猫なのに、三毛は気が強いのか、ボケているのか。自分の餌を離れてミニ緑地のほうへのろのろと車道を横断してくるのだ。妻は老いて病んだ三毛には特別食をつくっている。ずっと美味なはずなのにこちらへ味見にくるのだ。親子の返り討ちを警戒してボクがそばに寄ると、親猫は逃げる。子猫は至近距離で様子をうかがいながら、ちょっと餌に近付くと、驚いたことに三毛は「態度がでかい」といわんばかりに前足で子猫にジャブをかけるのだった。

いつもはそれからすぐに野外駐車場の自分の餌に戻るのだが、その日はしぶとく親子用の餌に向っている。そばに小さな電灯があり、はじめて夜の三毛を観察した。尻尾をきちんと巻いて座っているが、縮れた毛がぺちゃんこになり、やっぱりボロ毛布である。数年前、コニファーの鉢の陰から小さな軍馬のように凛々しく出てきたエプロンがけの小娘の面影はどこにもない。

大寒を境に三毛の「クシュン」がひどくなり、食べながらしきりに顔を左右に揺らす。いっとき治まっていたのにまた歯肉炎がひどくなったのだろうか。妻はペースト状の缶詰に切り替えたりしたが、効果なく、最後にホタテとタラの煮たのを煮汁といっしょに与えると、これは気に入ったらしい。犬のようにぐいぐいと食った。

「三毛は、ニャッ、ニャッ、と短い鳴き声が特徴なのに、今日は、ニャーン、ニャーン、と普通の猫の声をだして喜んだよ」、と妻はうれしそうに鳴き声を真似てみせた。
こんな三毛の夕食シーンが3日続いた。

4日めは多めに夕食を用意していった。けれど、三毛は現れなかった。8時半にも行ったが、やはりいない。ミニ緑地では2匹の茶色が待っていた。浮かぬ思いで餌を与えた。三毛がそのうち、味見にくるかもしれないと。でも、三毛はこない。ノラの生態はやっぱりわからないなあ、と帰途についた。5メートルほど歩いて、何気なく振り返ると、電灯の下に猫の影。まさか!!

引き返すと、まさしく三毛だ。きちんと座って横を向いている。人が通りかかる。妻がふいに抱き上げた。老女ながら気高く、いままで指1本ボクたちに触れさせたことのない三毛がひょいと抱かれてしまっている。妻は大急ぎで車道を渡り、いつもの餌場に降ろした。特製の餌を鼻先につきつけても、三毛は後ずさりした。

帰り道、黙り込んでいる妻に「三毛は満腹だったんだ」といった。妻はそれには答えず、とぎれとぎれに「抱いてびっくりしたわ・ほんとに軽かった・じっとしていた・もう終わりやわ・あんなに軽くては・昨日、たくさん食べてくれたのが名残かなあ・長い付き合いやった」とつぶやいた。

そして「慌てていて、三毛の頭を撫ぜてやれなかった。かわいいね、と1度ぐらいは撫ぜてやればよかったのに、とうとう1度も。ノラだからだれにも頭を撫ぜてもらえなかったんやろね」と涙声になった。
「また、明日やってくるよ」
「いや、あんなに軽くてはもうだめだわ」
いつも煮え切らない妻が強い口調でそういった。

それから二ヶ月あまり、毎日、陰膳のように特製の餌をもっていったが、とうとう三毛には出会えなかった。ボクも妻もその付近を歩くのがつらくて、いまも遠回りして駅に通っている。