52 「三毛おばあさん」はセックスも知らずに!?

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 52

52 「おばあさん三毛」はセックスも知らずに!?

 犬や猫、動物の死は人間の死に比べていかにもあっけない。ボクのささやかな経験則だ。おそらく三毛もこの風雪に埋もれて息絶えているだろう。半ばそう確信しながら、数日間、三毛を探して餌場をうろついた。
 
 三毛は意外にしぶとかった。
 いなくなって四日め、野外駐車場に通じる橋のたもとで、三毛に似た鳴き声をかすかに聞いた。幻聴かなと耳をすませていると、そばの民家の雪の積もった庭先から見覚えのある三毛の風姿が浮き出るように向ってくる。胸がどきどきした。このときは駐車していたトラックの下であっさり餌に向き合ってくれた。

 元日の朝、大晦日にやった餌の食い具合を調べに行くと、十数羽のスズメが群がって飛び立った。三毛のかわりにスズメが食っていたらしい。
ともあれ、例年になく寒い年末年始を、老いた三毛は居たり、居なかったり、気を揉ませながら、生き延びた。

 唐突にボクは16年ほど前、大工原秀子さんに会ったときのことを思い出した。「老年期の性」の著者は当時60歳前後。ボリュームいっぱいの体を金ピカの衣服に包んでエネルギッシュに話してくれた。

 30代のころ、新宿の保健婦をしていたが、老人クラブ会長と親しくなる。このおじいさんは「主人と死別して性にさみしいおばあさんが多い。なんとかならぬか」と訴える。自分も5人のおばあさんの相手を務めているが、これ以上は無理だ、とも嘆く。

 これを機に大工原さんの老いの性の調査が始まる。有給休暇をつかい、自費で全国各地にツテを求めて駆けずり回るが、当時はなかなか理解してもらえない。最初に便宜を図ってくれたのは北海道だった。
別の行事で集まったお年寄りたちに残ってもらい、聞き取り調査を試みた。耳の遠くなったおばあさんに「まだ、ヌ・レ・マ・ス・カ?」と何度も声を張り上げて質すのは勇気がいった。その返事が「え、何が?」ときょとんとかえってきたりする。40代にさしかかったばかりの大工原さんは身のおきどころがなかったという。これらのレポートがミネルヴァ書房から出た「老年期の性」で評判になった。

 ところで大工原さんを開眼させた面倒見のいい老人クラブ会長の晩年は皮肉だったらしい。自分の奥さんがほかのおじいさんと仲良くしているという妄想にとりつかれ、家族を困らせたそうだ。

 男と女はいくつになっても、スキンシップが重要、というのが大工原さんの結論で、大小便が垂れ流しのおじいさんとおばあさんになっても、たとえば「お風呂で寝転がって、おたがいが触れ合って遊べばいいのよ」とおっしゃった。
 そのあと、「まあ、老醜は神様の贈り物ですから、避けられないわね」と少し暗い目をして付け加えられた。

 いま、老年期に入ったボクはときどきこの言葉を思い出し、老醜への覚悟と開き直りと、そして希望の断片に似たものを夢見ることがある。
すてきなおばあちゃーん、来てね!

 三毛はじゅうぶんに老女であろう。醜女の彼女にもまた異性不純交際の思い出があったのだろうか。ふと、不妊手術をしてしまったことの申し訳なさみたいなものを感じた。

なお、元気一杯に見えた大工原さんはボクと会った翌年の暮れ、新聞に訃報が出た。