51 三毛は猫エイズ??

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 51

51 三毛は猫エイズ??

 三毛は目に見えて衰えてきた。餌場の選り好み、食い付きの悪さ。それだけでなく、クシュン、クシュン、と顔を左右に振りながら、ハクションに似た動作を繰り返すことが多くなった。食事中にもそれをやる。妻が猫エイズでないか、と言い出した。
 宝塚山中に捨てられていた脚の不自由な子猫「P助」がわが家にきて19年ほどになるが、数年前から食い付きが悪く、三毛ほどひどくないが、クシュン、を繰り返すようになった。獣医で猫エイズと診断された。歯ぐきが赤く腫れ、出血し、痛むらしい。

 以来、P助は定期的に注射をうけ、小康状態を保っているが、ノラの三毛にはそれはかなわない。捕まえようとしても、ボクらの手に負えないだろう。いや、ほんとうにその気になれば、ボランティアの人たちに頼んでやれたかもしれない。そうしなかったのは、野良にそこまでしなくても、あるいは、どうせ不治の病で高齢猫なのだから、というボクの打算があったのは間違いない。

 ともかくも飢えさせないようにするのがボクらの最低限の責任、あとは神様に押し付けよう、自然に任せるのだ、とボクは妻にいった。妻は不満そうな顔をした。ボクはふいにいらついてきて、「だったら、お前、世界中のノラ猫を世話できるか。近所の数匹の猫だけでもこんなにしんどいのに!」と怒鳴ってケリがついた。

 師走の後半になって、ミゾレの日が続いた。降りやんだ隙間に餌やりにでかけた。風が強い。妻は「この寒さで最年長の三毛が心配」といっていたが、どのノラたちも姿を見せない。ボクたちは広い野外駐車場を念入りに歩いた。三毛は暖をとるために、駐車してまもない車の下で待っていることが多かったからだ。妻は住民に怪しまれないようにと携帯電話をかけているふりをした。
 諦めかけたとき、キ・キ・キ という三毛独特の短い小さな声が聞こえ、端っこの溝からゆっくり出てきた。「風が強いから溝で防いでいたのだわ」と妻は喜んで走り寄った。

 車の下に餌を置いたが、やっぱり食べない。ボクらが去ろうとすると、ついてくる。このまえ、苦情をいわれたおばさん宅とは逆の方向へ歩いた。金網をめぐらした空き地があり、一角が文化住宅になっている。そこは人目につきにくい。三毛を誘導した。三毛はひょこひょこと入ってきて、驚いたことに妻の足元にじゃれるようなしぐさを何度もした。3年余りの付き合いではじめて見る媚態だ。しかし、餌はどこに置いても食べてくれない。「わがまま、選り好みはゆるさん」としまいにボクは声を出していった。空き地の隅っこの物陰に三毛を誘導し、鼻先に餌を置いて、三毛がこちらに気をとられないうちに、さっさと逃げるように去った。

 翌日は朝から雪が舞った。粉雪からボタン雪に変わり、珍しく積もった。三毛は大丈夫だろうか。雪をどうやって防いでいるだろうか。どこかで暖をとっているのだろうか。妻は「昨夜の餌を少しでも食べていれば、寒さもしのげるだろうけど」といった。
 気になって見に行くと、餌はそのままだった。中学生たちが雪だるまをつくったり、雪合戦のまねごとをしていた。
 
 つぎの日も寒風が吹き、三毛は姿を現さなかった。雪だるまが融けずに、町のあちこちに残っている。
 「このまえ、あんなに懐いて、親しそうにしたのは、最後のお別れの挨拶だったのかしら」と妻がいった。