49 悪女の魅力

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 49 

         49 悪女の魅力

 ノラ猫の餌やりの話に戻ろう。
 三毛との付き合いはもう3年を超えた。相変わらず寡黙で無表情ながら野外駐車場の端から二台めの車の下で律儀に待っていてくれた。ボクたちが遅れた夜は駐車場の手前にある橋のたもとまで迎えにきていた。たいていは欄干の石柱に座っていたが、ときどきは、橋のそばの民家の塀にもいた。三毛は肉付きもよくなり、元気な足取りだ。ボクたちも不妊手術をすませてルンルンだった。無責任に餌をやって、子猫がふえたらどうしてくれる?! という住民の苦情にも言い訳ができる。

 その三毛の様子がすこしおかしくなった。
 餌場で待っているのに、餌をやると口をつけずにボクたちについてくる。駐車場の前の住宅の小路の奥、小路の前の民家の玄関先、民家の間にある大木の下、そこから十数メートル先の木造アパートの前の溝。自転車置き場。三毛が食ってくれそうな場所をつぎつぎと回った。まるで日替わりメニューのように移動した。三毛は気まぐれにこのどちらかで餌を食い始める。いったん置いた餌を回収するだけでも面倒な話だ。

 義理堅く定位置を守っていた三毛がいったいどうしたのだ。妻は「私たちには見えなくても天敵がひそんでいるのじゃない。強そうな野良が餌を横取りしようと」といった。用心深い三毛はそれを警戒しているのだろうか。さらに数十メートル離れた畑の小道まで足を伸ばすこともしばしばだった。水がほしいのでは、と妻は餌と水をセットにしたが、効果はなかった。

 お気に入りの餌場を探しながら狭い車道をノラ猫同伴で歩き回るのは神経を使う。ヘッドライトが近付くたびにヒヤリとさせられる。通りがかった人たちはけげんそうに眺めていく。近所の民家の窓からのぞかれていないだろうか。

 ある月夜の晩だった。そのときも三毛はボクたちを手こずらせた。
「こいつは満腹で、ボクらと遊びたいだけじゃないのか」
 さんざん歩かされ、ほとほと参ったボクは三毛の前にしゃがみこんだ。
 三毛は逃げずに顔を横にそらした。こんなに近くで顔をみるのははじめてだ。チンクシャの想像以上のおブスさんである。そばの空き地にトラックが1台駐車していた。その下に餌を置き、食わなかったら、今夜はもう帰ろうとボクは立ち上がった。通行人にみられないように車輪の陰にビニール袋を敷き、餌を載せた。

 そのときだ、向かいの畑に隣接した古い平屋建ての庭から声があがった。
「餌やるの、やめてください。困ります!」
一部始終をみられていたらしい。腹を決めてボクはおばさんに近付いた。
おばさんはまくしたてた。
 「ノラ猫たちがやってきてうちの飼い犬の餌を盗み食いする、爪をむいて犬をひっかきにくる」

 ボクはこの猫は餌を毎日やっているからそんな冒険をしないのでは、 ノラ猫はだいたい3年で死ぬが、その年齢に近い、不妊手術もしている、
 「ですから、あとしばらくの間、大目にみてやってくれませんか」と低姿勢に出た。おばさんはしばらくぶつぶつ言っていたが、最後に「わたしゃ、犬はかわいいが、猫は大嫌い。猫の好きな人の顔がみたい!」と捨て台詞をいって家へはいっていった。

 ボクも子どものころからずっと犬を飼っていて、家族中が犬派だった。猫はとくに嫌いでもなかったが、犬のように言うことを聞かないし、愛想がよくない。素直でないのが気に食わなかった。のちに開高健が「犬はすぐ靡く女のようで単純で飽きる。その点、猫はすぐには誘いに乗らない、靡くようで靡かず、媚びず、さんざん焦らす。それがたまらない悪女の魅力」と書いているのを読み、そんな目で猫を見るようになった。素直な女がいいのか、悪女に惹かれるのか。男性にはたしかにイヌ派とネコ派がある。

 いつか動物保護の会合に出たら、「私が保護したいのは、野良犬です。ノラ猫には興味がありませんから」ときっぱり発言する女性がいて、びっくりした。事実、猫の話になると、一切の役割を返上、犬に関してだけ、率先して仕事を引き受けていた。
 猫は犬のように忠実でない、媚びない、愛嬌をふりまかない、ということで人気がなく最近では、「まるでネズミ並みに扱われている」と嘆く活動家もいる。