47 生老病呆死②定年後の夢(前)―養蜂業と温泉旅館

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 47

 47 生老病呆死② 定年後の夢(前)――養蜂業と温泉旅館

 ボクの親戚に、いつまでも現役生活を走り続けることを生涯の目標にしている70代の男性がいます。そんな主旨を書いた本をこのほど自費出版することになり、ボクに定年になったときの心境を寄稿せよ、といってきました。ボクは彼の鼻息には敬意を表しつつも、ちょっと違うところもあり、以下の文章を寄せました。




 定年を迎えたとき、ぼんやり夢想したのは仕事をしながら日本国内を数年かけてさまよってみようか、ということでした。
 40年ほど前、飼育しているミツバチに花の蜜を吸わせながら、花を追って九州から北海道まで旅する養蜂業の一家の物語を読んだことがあります。日本列島は長細いから花の季節はつぎつぎ異動しながら、けっこう長く続きます。花見をしながら、仕事をする、日本中を旅する、そんな時間をもてたら、どんなにたのしいだろうと胸がわくわくしていました。会社人間を離れると、それができるのがいちばんの夢でした。
 
 仕事をしながら日本中を旅できる業種で、もうひとつやりたかったのは、温泉旅館の住み込み従業員です。
 じつはこんな人に実際に出会ったことがあります。会社勤めをしていたころ、九州に転勤になり、その途中、松山に途中下車して漱石の坊ちゃん温泉に泊まったときのことです。酒をたらふくのんでうたたねしたあと、目が覚めて、夜おそく静まり返った温泉にはいったのです。すると、先客がいます。上品なおじいさんでした。お客さんにしては、物腰が低く、私が湯船にはいっていくと、すっと端っこのほうへいき、湯煙に隠れるように沈んでいます。
 
 ほどなく、おじいさんはていねいにあいさつしながら、湯から出ていきました。しばらくすると、戻ってきて、「だいぶ時間がすぎましたので、掃除をさせていただいてもよろしいか」と遠慮がちにいうのです。 おじいさんは住み込みの従業員だったのです。
 
 おじいさんは松山市内の商店主でしたが、奥さんが病死したのを機に店を息子に譲って、自分は温泉宿で働かせてもらいながら、四国中の温泉めぐりをすることにしたといいます。報酬は3度の食事と温泉につからせてもらうことだけ。「家には二度と戻る気はありません」とはっきり言い切った、温和で上品そうなおじいさんのことがしばらく脳裏に焼き付いていました。

 私はマスコミ関係の会社に勤務していましたが、日々の仕事をこなすのが精一杯で、改まってライフデザインを考えたことはありませんでした。会社の仕事にいやいや追われっぱなしというのではなく、仕事にやりがいがあり、仕事をこなしていくことが生きがいにつながりました。毎日が楽しく充実し、いってみれば、仕事・遊び・夢・ライフデザインのはっきりした区別を感じませんでした。これらの境界があいまいで、それぞれの部分が重なっていました。それはとても幸福なことだったと自分でも感謝しています。
 
 現役の日々が楽しく充実しているということは、逆に言うと、ライフデザインを描く必要がなかった、あるいは、ライフデザインを描く心の隙間がなかった、ということになります。これはいいことなのでしょうか?