46 生老病呆死  ① 右肩上がりの命日

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 46

ときどき場違いなことも書きたいので、このブログの枠内でミニシリーズ「生・老・病・呆・死」を随時挿入します。タイトルの言葉は、たぶん京都の名物医師、早川一光さんの造語でしょう。なるほどと感心したので無断借用しました。死の前に呆(ボケ)が入っているのがミソですね。


     46 生老病呆死 ① 右肩上がりの命日

「久しぶりに会わないか、おたがい、余命いくばくもなくなったからな」

 そんなMの電話に誘われてのこのこ姫路まででかけた。Mは京大医学部卒の精神科医だが、1人の引きこもり少女との出会いがきっかけで、20年以上にわたって兵庫県を拠点に2つのフリースクールを建てて不登校児の教育に尽くしている。さらに5年前からは有志と携えて鎌倉でも活動を続けている。

 ほぼ10年ぶりに会うMはやはりくたびれていた。ラグビーで鍛えたはちきれそうな風姿はない。笑顔もどこか弱々しかったが、酒がはいると元気な昔の声に戻りいつもの教育論をぶちあげた。一服したところで、「借金もあと2000万円になったよ。家内がこつこつ返済してくれていてなあ」と照れたように笑った。

 フリースクールの1つは文部省認可の高校で、相当な資金を要した。彼は地元の財界や一般市民に寄付を募り、自宅と母親の家も担保に入れ、文字通り私財をなげうったのだった。その間、信用した人に裏切られるなどの挫折もあったが、「これでやっと死ぬまでに全額返済のメドがついたよ」とうれしそうに猪口を口に運んだ。

 「それはよかった」とボクは軽く流したが、帰りの新幹線で妙にこの言葉が蘇ってきた。ボクの友人知己はよく「定年までに、何歳までにせめて○○円は残したい」という言い方をする。Mは逆に死のゴールまでにマイナスをゼロにできる、と喜んでいる。まあ、これとても特段に珍しい表現ではなかろうが、そのとき、昔読んだ詩人富岡多恵子の文章を思い出していたのだ。
 それはこんな主旨だった。

 誕生日と命日の間が、人の一生である。
 そのどちらの日も、本人が生きている間はわからぬのはありがたいことである。
 しかも、誕生日と命日が、両方ともいかなる人間をも平等にする日であるのはおもしろいことである。人間に階級があり、能力の差もあり、支配したりされたりの集団生活があるのは誕生と死の間のできごとであって、誕生と死だけは見事に平等なのである。言い換えれば、その人間を平等にしてしまう死に向かって生きているのに、ふつう、人間は現世での富や権力や栄光を求めているともいえる。それは多分、死の平等を忘れておれるからである。また、人間は誕生を出発点として死の方向に→を置くから、向こうへ行くほど栄えていかねばならぬ気持が強くなる。

 しかし、これを逆に→を向けて考えればどうなるだろう。死から自分を眺めたら、どのように見えるだろうか。だれでも裸で生れて、無一物の手ぶらのまま1人で死ぬ。この平等はありがたいことである。

 
 死から現在を逆照射するというのは、ハイデッカーも書いているらしいが、彼の場合は、どうせひと理屈もふた理屈も意味づけの回路を経なければならないだろう。ボクのような頭脳のレベルでは詩人の短い感性の文章のほうが沁みて来る。
 
 ボクは若いころから取り立てて資産形成に熱心であったことはない。この年齢になればなおさらだ。しかし、いますぐに死ぬとなれば、単に観念的な怖さだけでなく、実生活上のあれこれ、未練や義務や雑務や、片付けねばならないことが山積みなのに気付く。せめてこれらを済ませてから、と死から逃げをうとうとする。これなども要するに死ぬまでにいくら貯金しておきたい、というのと同類ではないか。
 
 つまり、ずっと右肩上がりの日々をすごすが、命日にはどーんと右肩下がりに急落。ゼロに到る軌道に乗ってしまっている。Mの場合は反対に、これからずっと右肩上がりを続けて命日はゼロへ双六のあがりとなるわけだ。行き着く先は同じゼロ。

  いまボクがそれなりにこなしている日常の雑務や義務、計算や目論見、心の葛藤などを、一足先に死のゴールにたどり着いたボクが振り返ってチェックしていくと、ほとんど意味のないことに心身を消耗しているのは確かだ。命日になれば、何の関わりもないことに毎日悩み疲れている。それでもボクを含め多くの人は日々の苦労と気ぜわしさを止められない。心は自由でない。
 「全額返済のメドがついて自由になった。いつでも旅立てるよ」という若いころからの欲のないMの無邪気な笑顔が羨ましかった。