44 明日からはお母さんがあなたの仏様になる(前)

   ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  44

   44 明日からはお母さんがあなたの仏様になる(前)

 パール・バックの次は重度脳性小児麻痺の娘を残して他界した日本の若い母の話を。暗がり続きの話題で少しくたびれるが、どれも闇の向こうに永遠のほの明るさが広がっている。
 3人の子どもたちに宛てた遺言集「子どもたちよ、ありがとう」(平野恵子著、法蔵館)はこの世の苦しみを安らぎにかえようとする若い母親のひたむきな手記だ。24歳のとき、3歳の長女が重度脳性小児麻痺と診断され、15年後に自らが癌を告知され、約2年後に子どもたちを残して旅立つ。平野さんは住職の家に生まれ、住職に嫁いだ。死後、恩師の廣瀬たかし・元大谷大学学長、親鸞研究家で作家の高史明さんがそれぞれ追悼講演し、その記録がいずれも法蔵館から出版されている。
   *廣瀬先生の「たかし」という字は私のパソコンの変換文字に出てきませんので、ひらがなをつかわせてもらいました。すみません。

 3人の子どもと一緒に死ぬことを考えていたころ、廣瀬先生の講演会があった。先生は「問いを持たない人生ほど、空しいものはない」と、<空過>ということを話した。平野さんは恩師に食ってかかった。
 「娘の由紀乃は何も考えることが出来ない。何ひとつ問いを持つことも出来ない。生きる価値もないじゃありませんか」
 「お嬢さんは大きな問いを持っています。言葉でなく、身体全体で、問いかけているじゃありませんか。お嬢さんの人生が空過で終わるかどうか、お母さんのこれからの生き方で決まるんじゃありませんか」

 恩師との問答を通じて母は目覚める。自分は障害を持つ娘を苦にするばかりで、責任を一切他に転嫁して怨み、愚痴り、怒り、空しく日々を過ごしてきた。それに比べて娘の人生はなんと満ち足りた安らぎに溢れていることか。

 そんな娘への遺言は仏教の教えを説くメルヘンのようで優しく悲しい。廣瀬、高の両先生も追悼講演でしばしば引用している。

 「食べることも、歩くことも何1つ自分ではできない身体をそのままに、あなたは絶対他力の掌中に抱き込まれ、1点の疑いもなくまかせきっています(略)。抱き上げればニッコリ笑うあなたは、自分をこのような身体に生み落とした母親に対する恨みも見せず、高熱と発作を繰り返す日々の中で、ただ一身に病気を背負い、今をけなげに生き続けているのでした。お母さんがあなたに残せるたった1つの言葉は<ありがとう>です。お母さんの40年の人生が真に豊かで幸福だったと言い切れるのはまったくあなたのおかげです。あなたはいつも全身で、生きることの喜びを、悲しみを、苦しみを教え続けてくれたのです。『そのままでいいのよ、お母さん。無理をしてはいけないの。空も山もお日様もみんながお母さんを励ましていてくれるでしょう』あなたの目はいつもそう言って笑うのでした。

 お母さんの病気は大変悪くなってきました。遠い他県の国立病院にたった1人で入院中のあなたのことを思うたび、枕元で微笑むあなたの写真が涙でかすんでしまいます。もうあなたに会いに行くこともできそうにありません。自動車の小さな振動が、腫瘍で狭くなった肺を圧迫して呼吸を苦しめるようになってしまったからです。

 でも、心残りはありません。今日まであなたがお母さんの仏様であったように、明日からはお母さんがあなたの仏様になるからです。
お浄土で待っています。あなたがその貴い人生を終えて重い宿業の身体を脱ぎ捨てる時、お母さんとあなたは共に風となり野山を駆け巡ることができるでしょう。梢を揺らして小鳥たちと共に歌をうたうこともできるでしょう。
 お願いがあります。お母さんが死を迎える時にも、あなたはいつものように優しく笑って、『よく頑張ったね』とほめてほしいのです。その笑顔でお父さんやお兄ちゃん、弟や、おじいちゃん、おばあちゃんに、生きる勇気を与え続けてあげてください。」