41 なぜボクはロックフェラーの家に生まれなかったのか?

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  41

   41 なぜボクはロックフェラーの家に生まれなかったのか?

37回の「なぜ?」と問い続けてーーの中の「なぜ?」と問うことの意味がいまひとつはっきりしない、という指摘を受けました。横道にそれますが、重要なことだと思いますので補足説明をさせてください。

 私は中学生の頃、「なぜ、ボクはロックフェラーの子どもに生まれてこなかったのだろう?」とまじめに考えたことがあります。ロックフェラーは当時、金持ちの代名詞でした。わが家は金持ちでないから欲しいものを買ってもらえない腹立たしさがありました。

 高校生になって少女を好きになり、相手もボクを好きだといってくれました。有頂天になっていましたが、ある日、鏡をみながら、必ずしも美男子でないボクは悩み始めました。もし、ここにタイロンパワーが現れて、少女に「オレはキミが好きだよ」といったら、少女は心変わりしてボクを裏切るのでないかしら。ハリウッドスターの、タイロンパワーはボクよりだいぶハンサムに思われたからです。
 「なぜ、ボクはタイロンパワーのように男前に生まれなかったのだろう?」

 そのほか、現在に至るまで私は無数の「なぜ?」に遭遇してきました。日本人に生まれたことだってそうでしょう。私のまわりは、「なぜ?」まみれでした。ところがある日、同じ「なぜ?」にも2種類あることに気付いたのです。

 高校時代、哲学好きの教師がいて、ストア派の哲学者、エピクテトスの言葉を教えてくれました。「世の中には自分の力の及ぶものと、及ばないものとがある。前者は自分の判断や努力など。後者は自分の身体、財産、名誉、地位」だというのです。

 目からウロコで、私はつぎつぎ連想を広げました。
 ボランティアをする、勉強をする、けんかをしないーーなどは前者。こちらの意思で1方的にやればいい。でも、クラスで学業または喧嘩が1番になる、学級委員の選挙に当選する、などといったことは後者だろう。自分の意思や努力だけではどうにもならないから。金持ちの家に生まれる、男前に生まれる、も同じこと。
同様に「なぜ?」と問われても、わかるものと、わからないものがある。宿題をしてこずに叱られた場合、その理由はさぼったから、忘れたから、と理由ははっきりしているが、同じように勉強しながら、なぜ彼は私より頭がいいのか、成績がいいのか。または、かけっこが速いのか、背が高いのか、声が大きいのか、と問われてもだれも答えられないのだとーー。
 なぜ地球があるのか、なぜ宇宙は存在するのかだれもわからないのと同じです。

 それまで私が、なぜ?と問うのは自分の思うようにならないときがほとんどでした。なぜだ!?と、腹を立て、悔しがり、悩み、愚痴り、くよくよするのが常でした。でもこれ以来、少しずつ世の中には、自分の努力や奮闘だけではどうにもならないこと、いくら怒鳴っても、悲しんでも叫んでも、自分とは関係なく進んでいく状況があるのだ、とわかってきたのです。パール・バックの事例にこんなつまらないことを引き合いに出すのはあまりに馬鹿げていますが、私の実体験なのでお許しください。

 口直しにキリスト者の感銘深い祈りを聴きます。よく引用されているのでご存知の人も多いでしょうが、18世紀の神学者エティンガーの言葉です。

  神よ、変えることのできないものは、それを受け入れるだけの冷静さを与え給え。
  変えることのできるものについては、それを変えるだけの勇気を与え給え。
  そして、変えることのできるものと、できないものとを見分ける知恵を授け給え。