40 障害児を持つことの喜び

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  40

40 障害児を持つことの喜び

1ヶ月後、パール・バックは心をときめかせながら学園を訪ねた。娘は学園生活になじんでいないのか、楽しそうな表情でなかった。母に会うと異常に喜んだ。年配の寮母さんがそばにきて、「お嬢さんはとてもいたずらでほとほと困りました。それにとても泣き、他の子どもたちのすることをしないのです。私はお嬢さんを懲らしめなくてはなりませんでした」

勝手に寄宿舎から抜け出したときは部屋に閉じ込めたりしたという。
「寄宿舎を抜け出したのは、もちろん私を探したかったのですわ」
「でも、ひとりで抜け出されては困るのです。お嬢さんには服従することを覚えていただかなくてはならないのです。それができると、他の子どもたちと同じように幸福になれるのです」
母は娘を連れてその場を離れた。娘は2人になると、とたんにすごく楽しそうになり母の手を握り締めた。

あの白髪の園長に会った。園長は以前と同じようににこやかに喜んで迎え入れてくれた。娘も園長には親しみをもっているようだった。
パール・バックは「娘をここにはおいておけない」と園長に一気にまくしたてた。

娘はいままで一度も見知らぬ人たちの間で暮らしたことはない、なぜ自分の生活が一変したかもわからない、それなのに部屋に閉じ込めるなんて! ここでは一列に並んで食堂にはいらねばならないとか、そんな日課をむりに守らねばならないのですか?

園長はパール・バックが話し終わるのを待って穏やかに言った。
「ここではお嬢さんは大勢の中の1人です。お宅にいらしたときのように自分だけのつもりで振舞うことはできません。自由は少しはなくなります。でも、必要な日課に慣れてしまえば、ここでは安全です、友だちもいっぱいいます。大きな家族です。1年後、5年後のお嬢さんを考えてください」
「娘にはどうしてそういうことが必要か、自分のためになるのかがわからないので大変なのです」
「人にはどうしてなのか、わからないことがあるのですよ。あなたもどうしてお嬢さんのような子どもができたか、お分かりにならないのでは?」
「お嬢さんも人間である以上、すべての人に共通な自分の小さな務めは果たさなくてはならないのです」

パール・バックは黙って聞いていた。娘も寄り添って満足そうに座っていた。
母は園長の話を聞くうちに、娘のためにより大きな幸福を考える力が湧いてきたのだった。

それから幾度となく娘を訪ねた。帰るときはいつも娘は母にしがみついて、「家に帰りたいの、家に帰りたいの」と小声で懇願した。
しかし、何年かたつうちに、娘は自宅に帰ってきても、数日はとても喜ぶが、一週間もすると、学園の友だち、玩具、楽器、レコードのことをいろいろ聞きたがる。しまいに自分から喜んで学園へ戻っていく。
こうしてパール・バックは自分の長い闘いが終わったことを知った。

最後にパール・バックのいくつかの言葉を連ねよう。

「娘は私に辛抱することを教えてくれた。私の家族は、とくに私は愚かなこと、のろまなこと、自分より感受性の乏しい人に対して黙ってみておれない性質だった。その私に自分でもどうしても理由のわからないハンディを受けた娘が授けられた。私は自分が悪いわけではない娘を軽蔑することができたでしょうか。」

「このような子を授けられたのは本当に残酷で、不公平だと思ったことがある。そんなはずはないと娘の才能をほんの少しでも見つけようと努力した結果、私が学んだのはやさしく、しかも注意深く耐え忍ばねばならない、ということだった。」

「人はすべて人間として平等であること、同じ権利を持つことをはっきり教えてくれたのは娘でした。すべての人はこの世で安心できる居場所と安全を保証されなくてはなりません。私はこんな経験をしなければ、このことを決して学ばなかったでしょう。きっと自分より能力の低い人に我慢できない、あの傲慢な態度を持ち続けていたに違いありません。娘は私に『自分を低くすること』をおしえてくれたのです」

「娘はまた、知能が人間のすべてでないことも教えてくれた。娘は残酷なことに我慢できなかった。寄宿舎で誰かが泣いていると、なぜその子が泣いているのか、だれかがその子を叩いたとか、指導員が叱ったことがわかると、娘は大声で寮長を探しにいくのです。娘はいじめっ子と堂々と立ち向かっていくというので評判になっているのです。不正なことを見逃せないのです。」

「娘が他の子どもたちと一緒に生活することで私自身がどれだけ学び、どれだけ慰められたかわかりません。逃れ出ることのできない悲しみを抱きながら暮らすにはどうしたらよいかを悟ることは、その暮らしの中にどうしたら慰めを見出すことができるか、を知ることに他なりません。」

「娘の学園に40歳近い男性がいます。知能年齢は7歳ぐらい。その目は絶望の影が宿っています。父親は有名な資産家ですが、面会に来たことは一度もありません。ある人が障害者の新しい研究のために父親に寄付を求めに行ったら、<わしは障害者のために1セントも出さぬ。わしの金は全部、正常な人のために使うのだ>と机を叩いたそうです。彼は来る日も来る日も自分のこと、自分に失われてしまったものを思いつめてきたのです。そして、わが子に見出すかもしれない喜びを、そのような子どもを持ったために得られた喜びをついに持てなかった…」