39 自分自身の悲しみより耐え難い悲しみ

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  39

      39 自分自身の悲しみより耐え難い悲しみ

 パールバックは別の私立学園で前回の若い園長と同じような園長に出会った。そして、そこで彼女の学園選びの旅は終わった。

 その園長は若くなく、白髪の物静かな男性だった。彼女の話にじっと耳を傾けていた。同情的だったが、むりにそうしているというふうではなかった。「この学園が気に入られるかどうかわかりませんが」と遠慮がちにいって案内してくれた。

 どの建物に入っても子どもたちは園長をみると、うれしそうに「エッドおじさん」と声を上げて飛んできた。
 園長は子どもたちにゆっくり時間をとって一緒に遊んだ。膝に抱きついてきたり、ポケットに手を入れてチョコレートの切れ端を探すのを黙って好きなようにさせた。そのチョコレートは子どもたちの食欲をなくさせないようにわざと小さく割ってあった。園長は1人ひとりをよく知っているふうだった。例えば、「ジミーのイスはもう少し低いほうがいいとおもう、ジミーの一番好きなイスの脚をすこし切ってやってください」などと指導員に指示した。

 建物も部屋もそれまでに見たものに比べればそれほどきれいではなかった。でも、子どもたちは裏庭で泥のパイを作ったり、飛び回って、自分の家にいるようだった。そしてふと気付いたのはどの壁にも文房具にも「第一に幸福を。すべてのことは幸福から」というスローガンが書かれていた。

 「この標語は感傷ではないのです。長い経験から生まれました。子どもの魂と精神が不幸から解放されない限り、私たちは何ひとつ子どもたちに教えることはできません。幸福な子どもだけが学ぶことができるのです」と園長はいった。

 娘を入園させるべく連れて行った。世話をしてくれることになる女性の指導員とも会った。娘は指導員と自分との手にぶら下がっていた。それまで娘を離したことは1度もなかった。しかし、死がそうであるように永遠の離別のときが迫っていた。むろん、これからも娘とは面会し、往来もあるだろう。しかし、2度と一緒に住めない。ときのたつのが恐ろしかった。

ホールには数百人の子どもたちが音楽を聴くために集まっていた。園長は親切にも彼女に子どもたちのために中国の子どものことを話してほしい、といった。彼女は壇上に立ってこみあげるものがあった。

「(数百人の子どもたち)1人ひとりの背後にはなんという心の痛みがあったことでしょう。こどもたちのことで、何年も何年も、どのくらい苦しみ、泣き、救いようのない失意と絶望に陥った人たちがいたことでしょう。子どもたちは運命の虜となって死ぬその日までこの学園にいなくてはならないのです。その子どもたちの中に私の娘も入ることになっているのです」

 彼女は生涯の中でこのときほど話を聞いてくれる人を楽しませようと心を砕いたことがないほど一生懸命に話した。話し終わると、園長は彼女だけをそばに呼んでこう話しかけた。

 「ここにいる子どもたちはみんな幸福だということを覚えておいてほしい。まず、ここにいる限り子どもたちは安全です。苦しみや欠乏を知らずにすみます。争いも敗北も悲しみもありません。できないことを無理強いされることもありません。自分にわかる喜びを味わうことが出来ます。自分自身の悲しみより、さらに耐え難い悲しみのあることを忘れないでーーそれは愛する人が苦しんでいるのを見ても自分で助けられないという悲しみです。あなたはもう、その悲しみを持たずにすむのです」

 入園から1ヶ月間は娘との面会は許されない規約になっていた。その間、何度となく娘を思い出し、絶望に沈みそうなとき、パール・バックはこの親切な分別のある言葉を思い浮かべた。娘が幸福である限り、自分が耐えるべきことに耐えられないなどということがあろうか!