38 自分でもわからない何かを待っている子どもたち

     ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  38

   38 自分でもわからない何かを待っている子どもたち

 娘が9歳のとき、パール・バックは米国へ帰り、娘の終生の住み家選びを始める。学園(施設)の一覧表を手にかたっぱしから見て回った。
 
 すばらしい設備の学園があった。園児たちの栄養状態もよく、指導員の世話は行き届き、常勤の医師、心理学の専門家もいた。子どもたちの作った手芸品もきれいに陳列されていた。娘は音楽が好きだが、この学園には音楽部もあった。女性園長は「子どもたちの隠されている可能性を最大限に発達させるようにあらゆる努力をしている」と話してくれた。
 学園は非のうちどころがないように思えた。ただ、娘と園長が並んでいる光景を想像すると、どこかに温かみが欠けるような感じがなくもなかった。有能で活気のみなぎる園長だが、1人1人の子どもと深く関わっているのだろうか? そんなかすかな疑念もしだいに薄れ、夕方、園長と2人で帰りのバスを待つ頃には、驚くほど高い入園費をどう工面しようかと考え始めていた。
 
 そのとき、一台のバスが停まり、園生たちが降りてきた。十代の少女たちだった。園長の前を通るとき、少女たちは礼儀正しく挨拶した。それを凝視している園長の鋭い目つき。突然、園長は「みんな、お待ちなさい」と呼び止めた。少女たちはなかばおびえたように立ち止まった。
「頭をあげて歩かなくてはいけないと何べんいったらあなたたちはわかるのですか。踏み段のところまで戻ってもう一度やり直しなさい」
 高圧的な調子で命令し、少女たちは園長が監視している前で従った。
 園長は得意そうにパール・バックを振り返り、
「知能の遅れている子どもたちは、みんな頭を下げて歩きますからね。それがあの子たちの特徴なんですの。それをすっかり直してやらねばならないとおもっているんです。」
「なぜですの?」
「ここにいるのはみな、社交界でも有名な、良家の子どもたちばかりなんですの。親御さんたちは娘さんを連れて歩くとき恥ずかしい思いをしたくないとお思いなのですわ」と園長は半ばさげすんだように笑った。

 「歩き方だけでなく、ブリッジをするときには、どういうふうにトランプのカードをもって、ほんとうにブリッジをしているように見せかけるかも教えなくてはならないのですよ」
「それはどういうわけですの?」
「私も生活がかかっているからですわ」
 園長はすなおにそう答えた。
 パール・バックはその日1日がムダだったことを知った。

 州立の学園は入園希望者が殺到し、どこもぎゅうぎゅう詰めの状態だった。いくつもある大部屋の中でつまらなさそうに腰掛にかけて、いつまでもいつまでも何かを待ち続けているような大勢の子どもたちをみたとき、胸がしめつけられた。

「子どもたちはなにを待っているのですか?」
 ある日、パール・バックは案内してくれた人に尋ねた。
「ただ座っているだけなんです。あの子たちはああして座っていたいだけですよ」と男の案内人は答えた。
「どうしてあの子たちはほかの事をしたがっていない、とわかりますか?」
 案内人は質問をそらすように「1日に2回、子どもたちを立たせて建物のまわりを歩かせています」

 子どもたちは本当は何かを待っているのだ。
 だれもが何か楽しいことが起こるのを待っているのだ。ただ、なにを待っているのか、子ども自身にもわからないのかもしれないが。いくら知能が遅れていても、苦痛や喜びを感じないはずはない。それを理解することが世話する人の大切な仕事なのにーー。
 子どもたちは自分ではよくわからない深い深い苦しみを味わっているのだ。
 
 ある州立の学園では身の毛がよだった。すでに老人になっている園生たちも混じって犬のように一ヶ所に押し込められていた。粗い麻の袋のようなものを着せられ、床の上におかれている食べ物を手づかみで食べていた。トイレにいく習慣も教えられず、コンクリート床を日に2,3回水で流して汚物を始末していた。ベッドは床にじかに敷いた不潔なわら布団だった。知能が極端に低い子どもたちに見えた。「園生たちはなにを教えてもムダで、死ぬまで生存しているに過ぎないもの」というのが園の考え方のようだった。

 のちにパール・バックはこの学園を再訪した。園長が若い人に代わったと聞いていたが、まるで様子が違っていた。同じように入園者があふれていたが、1つの家庭のような雰囲気だった。窓には明るいカーテンと花、床にはリノリウムが敷かれ玩具がいっぱいおかれていた。大部屋は幼児、年長の子ども、と年頃べつにグループ分けされ、食堂もできていて、テーブルの上には皿もスプーンもあった。
「以前の園生より能力の程度は高いのですか?」
「いいえ、大部分は以前の園生ですよ」
「ここの園生たちはなにを教えてもだめだと以前うかがいましたが」
「教えることはできますよ。ひとりで無理ならだれかが援助してあげるのです」
 園長は園生がつくった小さな籠や敷物を示した。子どもたちは得意になって自分のつくった作品を見せたがった。口のきけない子どもたちは園長とパール・バックのまわりに集まってきて、自分たちがつくったことを知らせた。

「この子たちの知能は向上したのでしょうか?」
「すこしは向上しました。でも子どもたちにとってそれだけが問題でないのです」
「どんなふうになさったのですか?」
「ただ、子どもたちを人間としてもてなしているだけですよ」
園長はいとも簡単に答えた。