37 「なぜ?」と問い続けて

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  37

37 「なぜ?」と問い続けて

パール・バックはずっと中国で暮らしていたが、近所にアメリカ人の家庭があり、娘と同じ年頃の少女がいた。お互いにパーティーに招待し合っていた。ある日その少女が遊びに来たとき、「ママが、もうあのかわいそうな子をパーティーに呼ばないようにしようといっていたわ」ともらした。次のときから本当に招待がこなくなった。
それまでも娘の遊び友達はいたが、最後まで付き合ってくれた人はいなかった。気の毒だからと親切心できてくれた友だちもだんだん気が張って居づらくなるようだった。それは娘や自分にも伝染し、双方が気まずくなるのだった。
「娘のために別の世界を、娘が軽蔑されることも、嫌がられることもなく、そして娘が同じ程度の友達がもてる世界を探そう。娘が正しく理解され、愛され、尊敬されるところに住まわせなければならないと悟ったのです」

時が到来したら米国に帰り、娘の終生の住み家を探そう。満足できる住み家には多額の経費が必要なことはわかっていた。自分にはそんな余裕はないし、立て替えてくれる人もいない。自分で働いて切り開くしかない。しかし、決心するということは突破口と目標をみつけたことであり、それまでの行きつ戻りつの泥沼状態に比べて測りしれない安心感があった。

「なぜ?」――と問い続けてきた。
なぜ自分にこんな娘が生まれたのか?
なぜ自分はこのように悲しまねばならないのか? 
なぜ私たち母子は世間の普通の人のような運命でないのか? 

「なぜ?」と問うことは、自分の魂を反抗に使うことであった。
しかし、決心することに伴い、「なぜ?」をやめた。心の座標が移ったのである。自分自身のことや悲しみについて考えるのをやめて、娘のことだけを考えるようになったのだ。

「自分を中心にものごとを考えている限り、人生は耐えられないものであったのです。そしてその中心をほんの少しでも自分自身から外すことができるようになったとき、悲しみはたとえ安易に耐えられないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのです」と書くパール・バックキリスト教というよりむしろ仏教に近い。

けれど、次の段階で彼女はやっぱりキリスト教に戻る。
娘の将来の住み家を選ぶため、娘の能力をきちんと理解したい、できれば能力を向上させたい!
彼女はなにもかもなげうって娘の特訓を始めた。読み書き、色の区別、音楽。
娘は簡単な文章なら読めるようになった、非常に努力すれば自分の名前が書けるようになった、やさしい歌ならひとりで歌えるようになった。 もっと努力すればもっと向上すると確信できた。

その日も娘の手をとって文字を書かせていた。指導は厳格だったし、熱心のあまり無情な仕打ちもあったかもしれない。そして偶然、娘の小さな右手に自分の手を重ねたとき、その手は汗で濡れている。驚いて両手を開いてみると、汗でびっしょりだ。娘は私を喜ばせようと、ただ私のためだけに本人ではなにもわからないことに一生懸命になってくれていたのだ!
娘は本当は何ひとつ学んでいなかった!
パール・バックはそこらにあった本を二度と目にふれないように遠ざけた。この天使のような可憐な魂に無理をさせて、できないことをさせて、いったい何の役に立つというのか。障害児の娘だって幸福になる権利はある! その幸福とは、娘ができる範囲内で生活することができる、ということだったのだ!
「さあ、表に出て、子猫と遊びましょう」
娘の小さな顔は、信じられないと言うような喜びでいっぱいになった。それをみただけで、母は、報いられたと言う気持ちになったのだった。

パール・バックは書いている。
「そのとき以来、幸福こそが娘の世界である、と心で固く決めました。私は娘に対するすべての野心も、プライドも捨て去り、彼女のあるがままをそのままに受け入れ、それ以上のことはいっさい期待しまいと心に誓ったのです。もし娘の閉ざされた知能の眼が少しでも開くときが来たならば、そのときは、私はただ感謝すればいいのですから。娘が一番幸福でいられるところであれば、どんなところでも娘の世界、娘の家になるでしょう」