33 わたしは人を傷つけない。愛するだけ。

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  33

33 わたしは人を傷つけない。愛するだけ。

 
「死ぬ瞬間」の著書で名高いキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間と死後の生」(中公文庫)にも重い知能障害の娘を抱えた母の詩が引用されている。この母親は2人目の子供を授かったが、自分の母親さえ分からない重い知能障害を持つ娘だった。夫は家を出た。若い母は二人の幼児をかかえ、仕事も収入もなかった。怒り、呪った。しかし、母はクリスチャンだった。キリスト教徒らしく、この世には偶然はない、この子が生きていることにどんな意味があるのか、と問うたのだった。葛藤のあとの澄んだ心境が娘の目から描かれている。

おかあさんに
おかあさんって何かしら。
それは特別なもの。
私がこの世にやってくるのを、何ヶ月も待っていてくれた。
うまれたとき、あなたはそこにいた。
うまれてからほんの数分の私を見た。
おむつをかえてくれた。
あなたは永いこと、どんな子がうまれてくるのだろうか、と
あれこれ思いをめぐらせていた。
上の子のようにおませだろうか。
学校に行き、大学に進み、結婚するのをずっと見守ってやろうと。
どんな子だろう、家族の誉れになるだろうか。
でも神様はわたしに別のプランを考えていた、わたしはわたし。
私のことを「おませ」といった人はいない。
私の頭の中では、なにかがちゃんとつながっていない。
私は一生、神様の子どもでいる。
わたしはしあわせ。
わたしはみんなを愛し、みんなもわたしを愛してくれる。
言葉はうまく話せないけど、
愛も、ぬくもりも、やさしさも、心遣いも、
伝えることができるし、理解も出来る。
私の人生には特別な人たちがいる。
ときどきわたしは笑い、時々は泣く。
なぜかしら。
わたしはしあわせ。特別なお友達から愛されているから。
それ以上、何がほしいというの。
確かに私は大学にいかない。結婚もしない。
でも悲しまないで、神様は私を特別な人間にしてくれた。
わたしは人を傷つけない。愛するだけ。
たぶん神様は、愛することしか知らない子どもを必要としている。

略。
洗礼のときのことを覚えていますか。
略。
神様と、おかあさんと、わたし。
とても楽しい日だった。
あなたはやわらかくて、あたたかくて、わたしに愛をくれる。
でも、あなたの目の中には何か特別なものがある。
私にはそれが見える。
他の人たちからも、それと同じ愛が感じられる。
こんなにたくさん愛してもらえるなんて。
きっとわたしは特別なのね。
世間の目からみたら、わたしはいい子ではない。
でもわたしは、
他の子には出来ない約束をしてあげる。
わたしは、愛と、善と、無垢しかしらないから、
わたしたちは永遠を共有することができるわ、おかあさん。

 
ボクはこの詩の全部が好きだが、とりわけ感動的な部分を抜き出せ、といわれたら、次の五ヶ所をあげる。

△神様はわたしに別のプランを考えていた、わたしはわたし。
△私は一生、神様の子どもでいる。
△わたしはみんなを愛し、みんなもわたしを愛してくれる。
△確かに私は大学にいかない。結婚もしない。
でも悲しまないで、神様は私を特別な人間にしてくれた。
わたしは人を傷つけない。愛するだけ。
たぶん神様は、愛することしか知らない子どもを必要としている。
△わたしは、愛と、善と、無垢しかしらないから
わたしたちは永遠を共有することができるわ、おかあさん。

 そのなかからさらに、1行だけ、といわれたら、
「わたしは人を傷つけない。愛するだけ」か、

「愛することしか知らない子ども」、のどちらかだ。

 重い知能障害児の善と無垢は、どこかノラの傷つき、病んだ子猫たちに共通する神への近道を想ってしまう。